最期に見たのはすべてを喰らうような闇と黒炎。最期に聞いたのは何かが猛る声、引きつった女の吐息。漏れ出す僕の笑い。すぐに激烈な痛みが襲い掛かり、そのうちに僕という存在は消えて無くなったけれど、その痛みこそ僕の望んだ地獄の姿だったから、何も怖くはなかった。
ーー世界はすぐ、じきに不幸になる!
だから、僕の存在が無に帰そうとも構わなかったのだ。矮小な僕などおらずとも外宇宙は永劫の時を在り続け、人間の命を呑み込んで続いてゆく。神は誰にも止められない。その事実こそが僕の希望だった。 だというのに、気づけば僕は教団の、あの煤けて色を失ったベッドで目を覚ましていた。最初に見たのはあの闇とは対照的な、白く淀んだ天井と、どこかから響いてくる祈りの群声。何を罷り間違ったのか、いや、僕こそ神に選ばれた信者だったのか、それは定かではないが、僕は黄泉の淵から蘇ってしまったらしかった。
生者のレールから外れたものの証明のように、体のあちこちに傷や、覚えのない縫い跡が付いていた。
蘇った僕は神の御業の生き証人として、教壇に祭り上げられた。魂を捧げた誓いにカソックを纏えば、歓喜のごとく雄叫びが上がった。祈祷のため集まった信者らの眼の前で、幹部は僕にマイクを寄越す。アンプが下品にビリビリ鳴いていた。ホールに犇めく気狂いたちの血走ったまなこが僕を見つめている。みながみな復讐を望んでいるわけではないのだろう。だが、神に身をやつした理由が、あるはずだった。
「ーー僕が、現世に帰された理由はわからない」
久々に出した声は、少し低くかすれていた。それが、発声の仕方を忘れたからなのか、僕が大人になってしまったからか、それはーーわからない。
「僕の信仰が神に届いたのかもしれない。あるいは再び殺されるためだけに帰されたのかも。神の考えることなど僕らにわかるはずもない」
もはや、奇妙でさえあった。何故、あの時確かに神の目を見たこの僕が、まだ自我をものにしているのか。それさえ、神の気紛れでしかないのかもしれない。
「ですが」
それでも。
「葬儀さえ行われたこの僕が今、生きて、皆さんに説いていることが証明です。彼らは人智を超えた神秘を、我らに与えたもうた!」
神は僕らになど力を貸さない。不幸になりゆく僕らという塵芥たちを、意のままに弄ぶだけだ。だとしてーーそれがなんだというのだ。神さえ利用するまでだ。
喝采を!
そうして沸き立つ群衆は何処までも人間だった。降壇する僕に一層上等なカソックの男が笑いかけた。これで我が軍団の信仰はより強固になる。喜んで何者かの犠牲にもなろう。
僕は嗤った。
「ええ、ええ。それは素晴らしいことです」
カレンダーをなぞる。僕が死んだ、あれから二年が経っていた。どういうわけか僅かに背丈が伸びていて、長きに渡る悪夢から解放され、いよいよ僕の希望の未来が始まるような気がした。もう、母はいないのだ。
ひとつ扉を叩く音がして僕は振り向く。お時間です、と彼奴の声がした。僕は信者としては模範生らしく、復讐のためと犠牲者を増やせば増やすたび位は上がり、蘇ってみれば使徒のようにでも扱われた。それでいい。
「今、行きますよ」
こうして復讐の一手が増えていく。神の牙城にたどり着いたその時、すべてを引き剥がし、この星に呪いを掛ける。
神さえも悔やめばいいのだ。気紛れによってこの僕をーー死という牢獄から釈放したことを!
「…ふふ……。…ひひひ…」
カン。カン。カン。
廊に、断頭台に落ちる首の数のように、僕の足音が緩やかに、こだましていく。