スマートフォンの光を無感情に見つめている間にも、時は刻々と過ぎていった。既に友人のSNSは回りきり、”仕事”も片付いたというのに、僕の体は全く眠りに落ちる気配がない。朝も近いというのに、焦りが募るばかりだったから、もはや今夜の就寝は諦めた。
何とはなしに液晶をスワイプする。いくつもの通知欄を潜り抜けていくと、見知った名前に行き当たる。
祠堂くん。僕の幼馴染は、時折こんなふうに前触れもなく連絡をよこすことがある。友人同士の連絡というのは大抵そういうものだが、彼の場合は、違うのだ。
そのSNSアプリにある、彼とのトーク履歴を開いてみれば、つい数時間前にしたやりとりがすぐに現れた。
ーー律人、起きてる?
ーー起きてますよ。
そんな他愛もない言葉から始まる、どこにでもあるやりとり。こうして読み返してみたところで、笑えるわけでもない、とりとめもない雑談。
それでも、このやりとりが始まったのはーー僕がふいに日常を生きるのに疲れて、息が吸えなくなって、苦しくて仕方がなくなった、あの午前1時の瞬間だったということを、忘れようもない。
ーーどうして、僕が苦しいのに気づいているかのようなタイミングで、こうして連絡なんかくれるんですか。
ーーどうして、何も知らないわけじゃないくせに、すべてを忘れさせるように、他愛もない話しかしないんですか。
ーーどうして。
このまま追いすがりたくなる気持ちを封じ込めて、もう寝ます、と返事した。するとすぐに彼はそうかと言って、動物が休むスタンプで返してきた。 また連絡するな、と残して。
もう寝るだなんて嘘だった。本当はその場で叫びたかった。
ーー連絡するぐらいなら、今すぐここに来て、僕を助けてください。
「…馬鹿馬鹿しい」
今もまだ苦しんでいる。頭の中がぐちゃぐちゃで、彼の来るわけもない助けを待っている。
脳の片隅で僕が叫んでいる。彼はただの幼馴染で、僕の心など知る由もなければ、手を差し伸べる道理もない。優しく、心のけがれもない彼を利用したくなどない、そんな感情も確かに胸の内にあるのに、それでも僕は眠れずにいた。まるで重い彼女みたいだなと、我ながら自嘲して。
考えにふければふけるほど心臓の中心が掴まれたようになって、耳のすぐそばで早鐘を打つので、耐えきれなくなって身を起こす。カーテンを開ければ無情にも、ビルの隙間から冷たい朝日が昇りかけていて、すべてを優しく覆い隠す夜が終わることに死にたくなったーーそんな時。
小さく、本当に小さく、彼の声が聞こえた。
「祠堂くん?」
さっと窓を開けて階下を覗き見れば、ずいぶんと小さく見える見慣れた人影が、こちらに手を振っているのだった。
すぐに、スマートフォンの通知が鳴った。
“なんとなく、仕事の前に会いたくなって”
「ーーどうして。どうして君はいつもそうなんですか」
少しだけ笑った。笑いながら、少しだけ泣いた。どうせ数階ぶんも遠くにある僕の顔なんて、祠堂くんには見えるはずがない。
そう、冷静な僕は囁いているのに、息苦しい僕はまだ大声をあげたかったのだった。
辿り着いてくれるのなら、早く、早く。どうかこの涙に気付いて、と。