鳴刺は映画観賞が趣味だ。年間百本は観ている。
だが映画マニア特有のひねた感じはなく、「結局王道が一番なんだよね」と言いながらスパイダーマンをリピートしたりしている。先日はグレイテスト・ショーマンを絶賛していた。メン・イン・ブラックのBlu-rayなんて、鳴刺家のテレビ棚の中でレギュラー入りしている(その隣にホーリー・モーターズが構えているあたり、彼のレギュラー陣は胡乱そのものといって差し支えないのだが)。
そのためヴィクトルは油断していた。鳴刺ならどうせ何でもほどほどに楽しむだろうというある種の信頼が、まさかかようなところで打ち砕かれるとは想像だにしていなかったのだ。
「なにこれ、最悪」
「……言うほどか?」
ヴィクトルは瞠目した。鳴刺は白けきった顔でトルティーヤをつまんでいる。ディップ付けすぎじゃないか。だから太るんだよお前は。お小言を抑え込んでヴィクトルは鳴刺を窺った。喜怒哀楽の閾値が高いことは知っていたが、映画をここまで酷評したことはおそらくなかったと思う。
「暗すぎるし、起伏もないし、アクションもないし、なんか説教臭い」
「そこがいいんだろ」
「ヴィクトルはそういうのわりと好きかもしれないけどさあ、映画ってエンタメなんだよ、エンタメ」
黒革のソファもいささか草臥れている。鳴刺の萎びれた体を、その気分ごと受け止めているためか。
彼の横顔の向こうにある景色は雨脚を増していた。遠くで鳴り続けているノイズめいた雨音は、鳴刺の機嫌をさらに損ねる要因かもしれない。俺は雨、嫌いじゃないんだけどなぁ。ヴィクトルはそら思った。
「カット割りもテレビサイズじゃなかった? せめて”映画”してくれてたらボクも前向きに受け止めてやったと思うよ。だけど画がちょっとね。このノリを二時間半も続けるなら、絶対もっと重厚に見せるべきじゃん。小物も安っぽかったよね。それに――」
あっ。ダルい。コイツ。
ヴィクトルは鳴刺の映画好きを軽んじていた。ちょっとオタクじみた部分があることは否定できないが、基本的には楽しむことをなにより重視するやつだ。それにクリエイターをおおよそリスペクトしている。「生まれたことこそに意義がある」とはしゃぎながら、星一つの映画さえ大喜びで観ている。だからこそ侮っていたのだ。こいつにあるんだな、最悪って感情。
鳴刺の身振り手振りは指数関数的に大きくなっていった。
「何も分かってないくせに“分かってる人向け”を装ってるのがなおムカつくよね。途中から監督のマウント顔が浮かんじゃってたもん。脚本のレベルも低すぎ、伏線回収って言葉知らないのかな。シャイニング観て学べよって話」
「いや、シャイニングもそんなにしっかり伏線回収してないだろ」
「あれは回収しないことが伏線になってるからいいの!」
「めんどくせえ……」
比例するようにトルティーヤも減っていく。とうにスタッフロールを流し終えてしまったモニターの中では、チャプター選択画面がじっと沈黙している。そこに映し出されている男優の俯瞰カットさえ、鳴刺には気に入らないようだった。「もっと言うと美術監督のセンスがそもそも嫌い」言いたい放題じゃねえか。
鳴刺の痛論はついに、映画を選んだヴィクトルにまで及んだ。
「ていうかさ、これを楽しめたヴィクトルの感性、ちょっと疑うかも」
「は?」
「ボク結構、ヴィクトルの感性、買ってたんだけどさ。マジかって思ったね。じゃあ今まで感想が一致してたのって、たまたまだったんだ……って。がっかりかも」
「ふざけんなよお前」
ヴィクトルは上体を乗り出した。百九十センチ近い背丈と長い黒髪の髭面は十分な威圧感を放っていたが、鳴刺は素知らぬ顔だ。というより、出会ってから今までのあいだ、鳴刺にこの威圧感が通用したことはただの一度もない。
「映画ファン様の高尚な感想は、一般ユーザーの率直なレビューよりも偉ぇのか?」
「いやそりゃそうでしょ。何本観てると思ってんの」
「ざけんじゃねえぞ」
「語彙も貧相だもん。何回使うの『ふざけるな』って」
「テメェ、マジでざけんなよ……」
シャツの襟繰りを掴み上げると、鳴刺はゲラゲラと嘲笑を零した。実力行使に及んでも痛烈な批判を止めないので、ヴィクトルは別の角度から彼を刺すことにした。つまり、かねてより恐々としていた、首を傾げたくなる鳴刺の趣味嗜好について。
「ならテメェの趣味はどうなんだよ! ムカデ人間を称賛するのは世界でオメーくらいだろうよ!」
「はあ? あの独創性がわかんないの?」
「独創で片づけちゃダメだろ、なんなんだよアレは」
「タランティーノも褒め称えてるの、知らないの!?」
「知らねえよ!!」
しばらく罵倒の応酬は止まらなかった。その合間に鳴刺が最後のチップスを口に運ぼうとしたので、皿ごと奪ってたいらげてやった。鳴刺は大げさに叫んだ。「あーっ!」
「最悪!」
「さっきの映画とどっちが?」
ヴィクトルは得意げに訊いてやった。鳴刺はしばらく唸り声を上げたあと、片目を憎々しさに細め、言い放った。
「お前」
ヴィクトルはゲラゲラと嗤った。