「杉村ってもっと絶倫なのかと思ってた」
はじめて体を重ねた後に何を言うかと思ったらこれだ。俺があらゆるものへの抗議を乗せた目線を送りつけると、ベッドの上の三村は転がすように笑った。
「ほら、体力あるし、背も高いしさ。まさか一発で終わりだなんて思ってなかったんだよ」
「そんなものだろう」
比較対象がないのでわからないが、普通は数回するんだろうか。俺は数時間前まで童貞だった。そういう世界に興味津々の年代のこと、一日に何発ヤるのが理想だとか盛り上がっていたクラスメイトもいたが(新井田と旗上あたりが先日そんな話で騒いでいたような気もする)、あくまで理想の話だ。理想の話、だよな?
身着を整える俺の目線に迷いが生じたのに勘付いたのか、三村は笑みを深くした。いつものことながらめざといやつだ。
「これは俺の場合だけど、」
「興味ない」
「俺は三回くらいは行きたい方かな。女の子とする時もたいてい、」
「聞こえなかったか?」
比較対象はないが、こういう場面で過去の経験談の話をするのはさすがにデリカシーがなさすぎるんじゃないだろうか、それだけはわかる。三村の下世話なはなしに若干ショックを受けている自分がいるのに気がついて、手を止め、目をそれで覆った。仕方がないだろ、はじめての経験に幻想を抱くのは。俺だってちょっとは、それくらい、ある。あった。あったみたいだ。知りたくなかった。知っていたらもっと別の、それこそ小柄で小さくて柔らかい女の子と、たとえば、
「なあ、誰のこと考えてんの?」
フローリングにあぐらをかき、ベッドに背を預けた状態で思考していると、ぐいと両頬を掴まれて思考が中断される。
「それってマナー違反だぜ」
「お前がそれを言うのか」
ちっちっ、と三村は舌を鳴らし、俺の鼻先に人差し指を当てた。「まだ続きがあるんだな」
なんだよと指をどけると、ベッドの上にうつ伏せになったままの三村は、腹ばいになって俺に近づき耳元に唇を寄せ、声を落として小さく、ごく小さな声で、ささやいた。
「俺の体力はまだ有り余ってるってこと」
突然落とされた声量を聞き取るため耳をそば立てていたら、三村の舌の、上顎や歯裏を行き来するわずかな音をも聞き取ることができた。それを認識した瞬間、耳孔から後頭部までを、勝手に先ほどまでの光景や感触が駆け抜けていった。
舌の粘膜すべてを合わせるようなキス、口蓋が溶けてしまいそうな錯覚に、聴いたことのない掠れたどろどろの高い三村の母音。細かな肌の柔らかさと、俺に触れてくる冷たい指先。俺の指先にはまだじんじんと、熱くとろけた狭い暗闇の感覚があった。それから、そこを陰茎で無理やり割り開いて押し進めていく時の、絡みつくような官能。わけがわからなくなるほど己の中心を雷のように突き抜けて昇ってきた、征服感。
「杉村」三村はその狭い、奥にある赤い、舌を唇で隠すようにして、嗤った。「顔真っ赤」
俺は強引に、それから目を引き剥がした。
「お前がよくても、俺は…」
三村は再びその白い指で俺の両頬に触れた。今度は掴むのではなく優しく、一本ずつ、沿えるようにして。
「俺が処女だって言ったの、まだ気にしてんの?」
「…するだろう、そりゃあ…!」
「気にしなくていいぜ、もう、非処女なんだし」
その一言に瞼の奥がぐらついた。目の前の男を、はじめて暴いたのは世界でただひとり俺なのだという事実が、また、溶岩のように胸から腹部にかけて降りかかった。
「やめろ」
石をすり合わせるような低い声が漏れたが、三村は気にしていない様子だった。どころか目を細め、明らかに、瞳にくすぶった情欲の色を、濃くした。
「優しいなあ、杉村くんは。じゃあ、言い方を変えよう」
唇が触れるか触れないかの距離で三村は口を開く。瞳はもったいぶるかのようにそっと閉じられ、睫の一本まで見えるようだった。
「俺まだ、ぜんぜん我慢できねえの」
だから、もういっかい。
最後まで言い切られる前に、眼前に吊り下げられた餌にむしゃぶりついていた。この穴の中を征服したい、その思いで一杯になっていた。舌を捩じ込んで、俺のよりも少し薄いそれを捕まえる。それが性急な動きにびくりと震えるのがわかった。首をも突き出すようにして三村の舌を追いかける。うつ伏せの無理な体勢でそれを受けていた三村がわずかに苦しそうな吐息を漏らした。
名残惜しくも一度解放し、俺は着かけたシャツを脱ぎ捨ててまたベッドに乗り上げた。三村も唇の端に妖しげな笑みを宿すと、身を起こして仰向けになる。俺を迎えるように両腕を軽く広げた。
巻いたベルトを再び外そうともたつかない手を動かす俺をあざ笑うように、三村が言った。
「なあ俺、才能あるかも。はじめてなのにめちゃくちゃよかった。頭ばかになっちゃうかと思った。相性いいのかもな?」
「さあ、な」
「どうする?お前、もう、女の子抱けなくなっちゃったら」
それが狙いか。一瞬そんな悪態が頭をよぎったが、無視してベルトを引き抜くと、三村の頭の横に両肘を立て、逃げ場を覆い囲うようにしてまた唇を塞いだ。キスの合間に三村の嘲笑のような息の音が聞こえた。
酸欠で思考に靄がかかりはじめたところで、囲いを解き、両腿を抱えて開いた。前戯は必要なかった。新たな征服を始める直前、せせら笑う三村を、目の方では睨めつけた。唇は、たぶん、俺も嗤っていた。
「お前も二度と、女を抱けないようになるかもな」
三村がなにか言い返した。上等、とか、まさか、とか、おそらくそんなところだろう。だけどそれは、込み上げた嬌声に掻き消されて、もう、聞こえなかった。