連鎖の結論

「タイムカプセルを掘り起こしに行きたい」
 七原が唐突にそう言った。なんのことかわからず一拍ぶん呆け、それから思い出したのだが、中学を卒業する直前、確かに俺と七原は、校庭のどこかの木のそばにタイムカプセルを埋めたのだった。わざわざ近くの駄菓子屋の店先に置いてあるガシャポンを回して、その中身を取ったあとのカプセルを使って。
 自分たちのことながら、子供らしい発想だ。ガキくさい単語に俺の頬を照れがかすめるが、七原は気づかぬままに立ち上がると、ハンガーにかけてあったジャケットをむしりとった。もうタイムカプセルのことしか頭にないらしい。
「今から行くのかよ」
「今行かないとまた忘れちまうよ!」
 本当にふいに思い出したみたいだ。息まく表情には興奮が現れている。逃げやしないのに、ばたばたと玄関に出ていく七原を追おうと一歩踏み出して、俺はふとテーブルの皿に目をやった。数歩、と、と、と後ろに下がると、食べ終わったあとの二人分のそれをさっと重ねてキッチンのシンクに置き、水を張った。それからジャケットに腕を通し、棚からキーケースだけかすめとると、改めて玄関を急ぎ出た。
 七原は早足で階段を降りていく。俺は塗装のところどころ剥げた玄関扉に鍵をかけ、その背を追った。
 降りながら、ジャケットのポケットに手を突っ込み、「あ、車の鍵忘れた」と言うので、キーケースを取り出して軽く見せてやる。
「ここに入ってる」
「さすが三村」
 アパートの駐車場につくとまっすぐ自分たちの車を探した。すぐに見つかった、黒のN-BOX。俺は運転席に乗り込むとキーケースから鍵を出してエンジンに差し込みひねりこんだ。武者震いのように車が唸り出す。七原も助手席にかけてシートベルトを締めると、わくわくした様子で俺の横顔に声をかけてきた。
「なあ、なんて書いたか覚えてるか?」
「全然」
「俺も。覚えてないくらいが楽しいよな、こういうのは」
 そうしてフロントガラスに顔を向ける。俺もハンドルを握り直した。プラスチックの冷たいつるりとした感触。当時だったらきっと、車なんかじゃなく、自転車で駆け出していたのだろう。俺はペダルのかわりに、アクセルを踏んだ。

 車窓を見慣れた街の様子が流れていくのを、ぼんやりと七原は眺めている。ある程度栄えていたそれが、走るにつれて、城岩町の田舎めいた風景に変わっていった。
「懐かしいな」
 景色にか、タイムカプセルを埋めた思い出にか、七原が口にした。
「確か他のクラスメイトも一緒に埋めてなかったか? いいのかよ? 先に掘り起こしちまって」
「それはB組みんなで埋めたやつだよ。俺と三村は別でもう一個埋めたんだ」
「よく覚えてるな」
 すっかり忘れていた。そういえばそうだったか。眼前の光景が徐々に郷愁を増していくのと一緒に、俺の眠っていた記憶も少しずつ呼び覚まされていった。
 そうだ、確か、卒業式が終わったあとの最後のホームルームで、みんなしてタイムカプセルに埋める内容を書いたのだ。林田先生のそれなりに感動的な、俺たちに向けたスピーチのあとだった気がする。あの時は教室に女子のすすり泣く声が響いていた。それから、未来の自分に向けて手紙を書いた。なんて書き残すかという話題で、一度静まり返った教室が、にわかに賑やかになった。
 そして、最後にその紙を回収して、ちょっと大きめのクッキーの空き缶みたいなものにまとめて入れて、グラウンドに埋めに行ったのだ。泣き笑いを浮かべる内海や谷沢、あとは大木あたりの男子グループが率先して埋めるのを手伝っていて——俺や七原、杉村や国信などは少し後ろから見守りながら談笑していた。そう、その時、相馬光子がまったく興味なさそうに、あくびを噛み殺していたんだ。お前はそうだろうなあ、そんな感想を抱いたのを思い出した。意外と覚えているものだ。
「あの時、お前がガシャポンのカプセルを持ってきたんだっけ?」
「いや、卒業式のちょっと前の日に、B組でタイムカプセルを埋めるって話になったから、俺たちもやろうぜってなって。それでその日の放課後に、あの駄菓子屋に寄ったんだ」
「なんで二つも埋めようってなったんだよ」
 一つでよかっただろ。俺は苦笑いを浮かべて七原を横目に見た。そのあたりは彼も正確には記憶していないらしく、さあ、と参ったように肩をすくめてはにかむのみだった。
 俺はすぐに目線を前に戻すと、ばらばらに広げた回想の地図を再び見直した。そうだ、俺も正直言って、タイムカプセルにはそれほど乗り気じゃなかったんだ。だから、わかるぜと、つまらなそうにしている相馬に心の中で話しかけたものだった。未来だの過去だのを長期的に見つめることにあまり興味がなかったし、先々になにかを残すことについての実感も湧かなかった。未来の俺は未来の俺だ、今の俺とは関係ない、そう思っていた。文集なんかで、将来の作文を綴るのも嫌いだった。まあ俺は作文全般がそもそも好きではなかったのだけど、ともかく。
 七原に言われるまで、タイムカプセルのことなんかすっぽり頭から抜けていた。もちろん、なんて書いたのかなんてこれっぽっちも覚えちゃいない。全然だ、誇張なく。それを、七原に付き合ってのことなのだろうけど、二つも残しただなんて、昔の俺もよくやるものだ。優しいというか、なんというか。

 城岩中学校へ向けて、車は坂を上っていく。何年も通っていない道だけれど、確認せずとも道順はわかっていた。
 坂を上りきると懐かしい校舎の姿が見えてくる。あれから十年と少し経ったが、見た目はそれほど変わっていない。もうすでに日が落ちて真っ暗になっているが、いくつかの窓から明かりがこぼれている。特に職員室(があったはず)の光は大きく、内心で教師陣に軽いねぎらいを贈った。
 校門を抜けるかわりに裏手にある駐車場に回り、空いているスペースを探してそこに車を停めた。エンジンを切ると七原が待ちわびたようにシートベルトを外し、扉を開けて外に出たので、俺も従う。
 伸びをする七原に「こういうのって許可必要なの?」と声をかける。七原はわからないというように軽く首を傾げたが、「一応声かけておくか」と校舎に向けて歩き出した。ベターだろう。
 中に入るととても懐かしい匂いが鼻を抜けていった。紙やペン、なんとも表現しがたい独特の香り。コーヒーの匂いのようなものもかすかに感じられる。大人になってからここにやってくるのははじめてのことで、少し妙な気分だった。なんとなく居づらいような、心地の良いくすぐったさ。七原もそれは同じのようで、「なんか変な感じだな」と目尻を下げて笑った。
 来客用のスリッパを借りて俺と七原はぺたぺたと歩いていった。職員室を覗くと、残業していたらしい男の教師(俺たちとそう変わらない年代に見えた。素朴な感じの風貌だ)が手を止め、顔を上げてこちらを見た。
 やってきた教師に、俺はわけを説明した。男は納得したように頷くと、共用の大きな棚からバインダーに挟まれた名簿を引っ張り出して、鉛筆を添えると差し出してきた。そこに二人分の名前を書く。
 七原は俺の肩越しに「すみません、ついでに掘るものって貸してもらえます?」と訊いた。確かにそういったたぐいのものは持ってきていなかったが、急に訪れたくせにちょっと図々しいやつだ。だけどその男教師は快諾してくれた。倉庫の鍵束を持ってやってくると、俺たちと一緒に外に出た。
「何年に卒業されたんですか?」
「二〇〇〇年の三月です。ええと、だから、一九九九年度の生徒ってことになるのかな、俺たちは」
 そんな世間話をしながらグラウンドの倉庫に向かう。男は鍵を開けるとまっすぐに整備道具がまとめられているスペースに赴き、シャベルを取り出して渡してくれた。
「終わったらここに戻して、鍵を閉めて返してくれたらいいので。僕はまだ職員室にいますから」
「お疲れ様です」
 人の好さそうな笑みを浮かべ、男は校舎に引き返していった。七原は受け取ったシャベルを手にまた興奮を強くした。
「三村、どのへんに埋めたか覚えてるか?」
「それも覚えてないな」
「俺は覚えてる。こっち!」
 七原はシャベルを持っていない方の手で俺の腕を握ると駆け出した。「おい、逃げやしねえよ」俺は先刻思ったことを繰り返すように唇に乗せるが、やっぱり彼は聞いちゃいなかった。
 サッカーゴールのさらに奥の、木々が枝葉を大きく広げたフェンスの影のあたりで七原は足をゆるめ、立ち止まった。「確かこのへんだったと思う」しゃがみこむと、ジャケットの裾が校庭の土に触れるのもかまわず、シャベルを差し込んで掘り始めた。
 俺もしゃがんで、その様子を見守る。踏み固められた土は硬く、七原は力を入れて掘っていたが、少しずつそれが柔らかくなり掘り起こしやすくなると「やっぱりこのへんだ」と言って喜色を濃くした。
「たぶん、三村について書いてるんじゃないかと思うんだ」七原は掘る手を止めぬまま呟いた。
「俺?」
「だって、わざわざクラスのとは別に二人で埋めたんなら、それしかないだろ」
「じゃあ、俺が書いたのも、お前のことについてなのかな」
「なんて書いてくれてるんだろう、俺がどれだけかっこよくて魅力的かってことかな」
「バカ」
 俺はおちゃらける七原に野次を飛ばした。「お前の方にもさぞ、俺にはどれほど敵わないかってことばかり綴られてるんだろうな」意趣返しの冗談に、七原はまた声を上げて笑った。
 そこでかつんと音がして、シャベルがふと止まった。ふたり覗き込むと、穴の中に丸い半透明なカプセルがふたつ、鎮座している。それぞれ赤と黄緑のキャップだ。どちらが自分の書いたものか判別できるように、ご丁寧にマジックで数字が書かれている——赤い方が「7」で、黄緑の方が「3」。土にまみれてしまっているが、間違いない。
「本当にあった」
「だろ!?」
 七原は赤いキャップのカプセルを手に取った。俺も黄緑の方を手に取る。どうせ大したことは書かれていないだろうが、乗り気じゃなかったわりには胸が少しだけ踊った。
 カプセルのキャップ部分に手をかけ、少し力をつけて外す。中には小さな紙が雑に折り畳まれて入っていた。七原をそろりと見ると、彼も紙を取り出してまさに読み込まんとするところだったので、俺も、ほんのわずかな緊張とともに紙を開き、目を落とした。
 とても短い一文だった。広い紙にぽつんと、走り書きの、かさついた鉛筆の筆致で、
「マトモな恋はできたか?」
 そう、書いてあった。
 ——おそらくだが、クラスで埋めた方のタイムカプセルには、もっと当たり障りのないことを書いて閉まったのだろう。こんなことはきっと、あちこちに書き散らしたりなんてしない。
 マトモな恋。
 あの時の俺は不安がっていた。誰かひとりをまっすぐに愛し、そして愛されることができるのかと。それだけが人生の終着点じゃないと頭では重ね続けていたけれど、叔父さんならそれを良しとしただろうという予感は、織り続けるごとに存在感を帯びていた。いまでも肌身離したことのないピアスは、元を辿れば、彼が生涯想い続けた女のものだったのだから。
 俺は七原を見た。過去からの手紙にはしゃぐ姿——「三村とは今も親友か、だって」——素直な目つきはあの頃と何も変わっちゃいない。寝ぼけた猫みたいな目元も、深めの彫りとはっきりした精悍な顔立ちも。髪の毛だけは染められて、ちょっと明るいカッパーブラウンになった。あの頃なら俺の躊躇いなど知る由もなかった七原も、今はよく知っているはずだ。——「親友どころか、なあ?」——
 俺は小さく、過去の己に向けて微笑った。紙を丁寧に畳んで、カプセルにしまう。
「なんて書いてあった?そっちは」
 七原が顔を上げて問うた。
 俺は逡巡してから、得意の笑みで答えた。
「お前がかわいくてしかたないってさ」
 七原も、顔をくしゃくしゃにして笑った。

「——本当はなんて書いてあったんだ?」
 訊かれたので、俺はカプセルから紙を取り出して七原に放ってやった。運転席の七原は発進しようと手をかけていたシフトレバーを一旦離すと、膝の上に放られた紙を広げ、そこの文字に目を通した。左から右に黒目が動き、束の間、にやりとした。
「お前もかわいいとこあるよな」
「お前ほどじゃねえよ」