ここ数日の三村はあまりセックスに乗り気ではなかった。シている最中も気がそぞろだったりする。俺もけして性欲旺盛な方ではないが、大抵ノリノリで応じてくる(そしておそらく、根本的に性行為そのものが好きである)三村が俺から誘っても気のない返事をよこすのみというのはどうしたものだろうと、恥ずかしながら柄にもない心配をしていたのだ。
そしたらこれだ。
「似合う?」
「バカじゃないのか」
直球の罵倒が漏れた。
目の前の三村が身に纏っているのは青紫のチャイナドレスだった。ロングの、本来であれば女性が着るタイプのものである。
体のラインを滑るように流れる生地は、安っぽい光沢を放っている。どこで調達してきたのかわからないが、百七十センチ半ばの三村の体格にもぴったり合っていることから、そのへんのドンキなどではなくわざわざネットショップで探し当てて通販でもしたのだろうか。シルエットは優美な曲線だ、肩幅だってほどほどにしっかりしているくせに。いや、だからこそ、対比で腰がより細く見えるのか。
どこで学んだのかメイクも決め込んでいた。ドレスに合わせたブルー系のアイシャドウ、挑戦的なアイライン。薄く色づいている唇は、紫に近いベビーピンクのリップを、軽くティッシュオフしたんだろうか。
極め付けに、がっつり足の付け根まで入った容赦のないスリット。
俺が知る限りじゃ、三村には女装の趣味はない。あったらもっと丁重に扱っていただろう、少なくとも開口一番に頭を心配したりなんかしない。趣味もないのにいきなり気合の入ったコスプレを、あえてこんな夜に披露してきたということはつまり、
「なんだよ、最近マンネリだなと思ったから、こうして準備してきてやったのに」
そういうことだった。格好にじゃなくて、その発想をバカだと言ったのだ、俺は。
「俺にそういう嗜好はない」
「たまにはよくねえ?特殊なプレイも」
「せめて一言言えよ…」
「言ったらどうせ金の無駄遣いだって止めただろ」
そのとおりだった。もし三村のポケットマネーで購入した品だったとしても。
ここで引くわけにはいかなかった。一度前例を通してしまったら、こいつはまたバカな理由でよくわからないシチュエーションプレイのための道具を購入してきそうだ。自分の金で買う分には好きにすればいいが、結局そのプレイに付き合わされるのは俺なのだし、なんならそこにあったからという理由で俺のカードを使うなんてことも十二分に考えられた。
俺は読みかけの本にスピンを挟んで畳むと、ソファの前に立ちはだかる三村を見上げた。
「飽きていたんなら相談してくれたらよかっただろ」
「確かに飽きてはきてたんだけど、そこまで深刻じゃなかったしさ。悪いだろ、そんなことのために時間を取らせちゃ」
「今俺がコスプレへの感想を求められていることについては悪いと思っていないのか」
「それで、似合う?似合わない?」
追求を無視して三村は俺の顔を覗き込んだ。いたずらっぽい煌めきが、瞳の端に現れている。
俺は顔のパーツを中央に集めつつ、鼻から息を吸った。
——端的に言えば、…似合っていた。
ドレスの色のチョイスは三村の肌の色に対して絶妙だったし、メイクも良かった。チャイナドレスという選択も、三村の持つ造形を引き立たせるようだった。
三村自身、手応えを感じていたんだろう。そんな表情だった。
「聞く必要ないだろ」
「似合う?似合わない?」
三村が再度繰り返したので、俺は観念して瞼を閉じ、ぼやいた。「似合うよ」
「だろ?」手応えが確信に変わったことで、三村の声が少し上ずった。「お前が喜んでくれるかと思って頑張ったんだよ」頑張るな、そんなことで。
「それで、興奮できそう?」
「あのな、マンネリになってたのはお前だけで、俺は別に陥ってなんかいないんだよ」
「それっていつもの俺でもかまわずムラムラするってこと?」
俺はつい顎を引きかけ、はっとしてから三村を軽く睨んだ。三村は格好に似つかないしぐさで悪ガキのように笑った。
ちょっと、気に食わなかった。そりゃあ、そうだろう。俺は三村を好きなつもりだ、これでも一応、ちゃんと。
「……わざわざ、こんな格好しなくたって」
三村が、再び俺を見下ろした。
「俺はお前が求めるならいつだって応じてやるし、……、俺からだって誘うのに、…いつでも」
恥を振り切って口にしきると、三村は目を丸くしたあと、にんまり片眉と口角を上げた。
ぎしりと俺の横に片膝を立て、それからゆっくりと、もったいぶるように俺の両膝の上に乗り上げた。
「嬉しい」
両腿に体重を預けた三村は、俺の方に手をかけ上体を寄せると頬にキスをしてきた。そのまま耳朶、首筋とキスを落としたあと、「けど」一息つくと小首を傾げ、眉尻をわざとらしく下げた。
「勿体無いな、せっかくパンツも履かずに来たのに」
「は?」
「下着の線見えるとみっともないからさ」
俺は思わず下部に目を落とした。己の腿に三村の尻が乗っている。深いスリットから伸びる白い太股は柔らかく俺の両腰を挟みこみ、視界の端の膝まで続いていた。その感触を掴もうと鋭敏になる俺の触覚は、想像以上にしょうもない。
「ちょっと勃った?」
「勃ってない」
「着た甲斐があった」
「俺がまるで喜んでるみたいだろ」
「喜んでいいんだぜ」
「だから、わざわざそんなことしなくても俺はお前が」
好きだと言っているだろう。
何度繰り返しても直球の言葉は慣れない。躊躇いがちに睨むと三村はたまらないように目を細めた。その頬が少し紅潮を強くした。
「優しー」
バカにしてるのか、本気で言ってるのか。