再演

 画面が暗くなったので、七原はシークバーをもう一度巻き戻した。激しい銃撃戦のシーンが、ふたたび冒頭から噴き返す。
 ともすれば二十代にも見える逞しい男と、オールバックの美形が、それぞれショットガンとマシンガンを構えて向かい合っている。汗ひとつかかず銃を掲げるオールバックの男は、映画の中にあっても異次元で、ひとりだけ幕の奥に立っているようだった。
 対する大男の背は、画面越しにも実在の重みがあり頼もしい。この異常事態でも欠かさずくゆらせる煙草の煙が、モニターを超えて漂ってきそうだった。
 ふたりともすばらしい演技をしていた。七原は舌を巻いた。
 マウスの左ボタンを何度か軽く叩いた。映像はさらに過去へ遡る。
 続いて映し出されたのは、相対するふたりの男女だ。彼らは残されたわずかな時間を言葉に費やす。少女を追い続けていた少年は、最期に想いを伝え、静かに事切れる。真に迫る場面だった。
 ボタンを叩き続ける。灯台で少女たちが籠城するシーンが始まった。ここも見事な出来栄えで、ひとつの見せ場と言って良い。無慈悲な場面だが、七原もこれをとても気に入っていた。
 さらに叩く。遡っていた映像が切り替わる。真っ赤な炎に包まれた建物が画面全体を占めたところで、七原の指が止まった。
 銃を握ったまま息絶えているひとりの青年。さっきのオールバックがその手から銃をすう、と美しい所作で抜き取ると去っていった。
 また巻き戻して再生する。一方的な砲火の連射に晒され、青年の体はたちまち赤みどろになっていく。
 この場面に差し掛かるたび、七原は決まって奇妙な動悸を覚えた。他の場面でも感じるものだが、ここではとりわけ強い。フィクションの残酷描写に対する反応とも違う、もっと迫真めいた凄みで、軽いめまいさえ覚えるほどだ。その正体を確かめるために、七原は何度もデータを巻き戻していた。
 後ろを通りがかったスタッフが、七原の肩に軽く手を置いた。
「七原さん、顔色悪いですよ。大丈夫ですか?」
「え? そうかな?」
 七原は自分の頬に触れた。スタッフは「休めるうちに休んでくださいね」と苦笑いし、飲みたいものを尋ねた。七原が礼を言ってコーヒーを頼むと、スタッフは頷いて去っていった。
 七原は再びモニターに目を向けた。画面はまだ燃え盛る建築物の骨組みを映している。さらに巻き戻すと、髪を立てて整えた美しい青年が、灯油缶を抱えたまま、血みどろの唇を歪めて哂っていた。
 映像を見返すたび、七原は動悸とともに不可思議な感覚におそわれた。探偵のように真相を追い、歯抜けのパズルの完成を目指す。そしてこの映像を観るたび、ピースがぱちりと嵌っていく――そんな没入感。
 スタッフがコーヒーを届けに来てくれた。七原は受け取ったそれを啜りながら、いっそう作業に没頭した。
 ディスプレイは青年の姿を追い続ける。カメラに向けて銃口を突きつけ叫ぶ、荒々しい姿。逆再生が進むごとに、その表情は美しく軽薄で余裕のあるものに戻っていった。
 巻き戻す手は止まらなかった。退場したはずの役者たちが画面を賑わわせていく光景に、七原は妙な安心を覚えた。これはただ生きている彼らを見られることへの、観客めいた感想に過ぎないかもしれなかった。
 それにしても、最初に通しで観てからここまで相応の時間が経っているはずだった。とうに休憩時間は過ぎているだろうに、スタッフが声をかけてくる気配はない。準備が押しているのだろうか?
 そして最後に、ディスプレイは再び例の青年と七原自身を映し出した。深夜の教室、無機質な蛍光灯の下、無二の親友を失った哀悼の中に沈む七原――その演技に青年が微笑みかける。励ましにも、なにかの合図にも、別れの挨拶にも見える、曖昧な笑みで。
 映像を止め、七原は肘をついて重い目蓋を掌で覆った。ただの映像確認以上に疲れている。長い間モニターを見続けていたせいだろう。缶の中のコーヒーは、とっくに冷え切っていた。
「七原」
 名前を呼ばれて振り返ると、台本を片手にした大男——川田が立っていた。川田は「本当に熱心だな」と小さく笑った。
「休憩中、いつもプレイバックを確認してるんじゃないか?」
「ああ……まあな」
「さあ、ラストの撮影だぞ。気合入れていこうぜ」
 茶目っ気を交えてウィンクする姿は映画の役柄と寸分違わない。その笑顔に、この数か月の撮影中、七原はずっと励まされてきた。今では現実でも、気の置けない友人だ。
「もうそんな時間か」七原はPCの横に立てかけていた台本を手にして立ち上がった。ずいぶん油を売ってしまった。
 残るはラストシーンの撮影だ。軍人との戦闘と、川田との別れのシーンを、セットの中で演じることになる。船のカットはすでに撮ってあるので、それを最後に編集で繋げて完成となるはずだった。
 七原は歩を進める途中で、ふいにスタジオの壁際に目をやった。ひとりの男がもたれ、別の役者と談笑している姿が目に入る。農協を爆破して散っていく役を演じていた青年――三村だった。
 三村は撮影に向かう七原に気づくと片手を上げ、口を大きく動かして何事か語り掛けた。が、ん、ば、れ――そんなふうに読めた。七原も手を上げて応えた。その指先にまで焦燥が走った。
 けれど、それももうすぐ終わるはずだ。クランクアップさえ迎えれば、この奇怪な衝動とは。
 七原は己への鼓舞を唇に乗せた。大好きな曲の歌詞だ。ウィワ・ボーン・トゥ・ラン。