A・L・L・R

「芸術家は死してこそ完成することがままあるよな」
 そう言うと七原はまれに見る渋いしわを眉間や唇の下に作った。なにかまずいものでも食べたような顔だ。面白くなって茶化したら、「今ちょうどお前に食わされたところだよ」と言い吐かれてしまった。
「あー、違う、違う。決してお前の愛するロッカーに向けたわけじゃなくてだな、」
「いっしょだろ」
 なにをどう重ねても七原の不信の構えは解かれそうになかった。俺は一旦あきらめて、話を続けることにした。
「死後に評価が上がるとか、死んでから見つかった作品が高値で取引されるとか、よくある話だろ。持ち主が死ぬことでモノの付加価値が上がるんだ。おかしいよな。原価は変わらないのに」
 七原はまだじとっとした目線を寄こしてくる。まあ、悪いのは俺だ。七原がこの手の話を好まないなんて猿でもわかる。けど、俺が言いたい本題はそこじゃない。
「優れた感性の芸術家はよく精神を病んで死ぬという話もある。たぶん、創造性を限界以上に拡張するには、死の先を超えるしかないって、どっかで気づくんだろうな」
 七原の胡乱げな視線はますます強くなった。クリエイティブへの愚弄に怒っているというより、お前はなにを言っているんだ、と言いたげだ。実際、俺は芸術に関してはからっきしだ。なんなら七原の方がまだ明るいだろう。
「もしくは感受性が強すぎるのかもしれない」
 アートのなんたるかを論じるつもりはさらさらなかったのだが、多少気持ちよくなって、俺はそれっぽいことをしばらく上塗りし続けた。聞きかじった他論をさも持ち前の知識のように披露したくなる、小賢しいガキの典型だ。中学生の世界はとても狭い。ちょっと見識があるとすぐ一目置かれてしまう。そんな環境に俺も増長されているのだ。みみっちい。
 七原も案の定、少しずつ構えを解いていった。俺のわけのわからない話にも耳を傾けようとしてくれるのがわかって、思わず笑んでしまった。本当にすなおでいいやつだ、こいつは。
「けど、生きているうちにも伝説って呼ばれるアーティストはいっぱいいるし……なにも死なないと完成しないってことはないと思うぜ?」
 七原は視線を上に彷徨わせながら言った。見上げる天井に、何人ものミュージシャンを思い描いているんだろう。だけど今はどんなレジェンドの歌声もない。平凡な教室のざやめきが、着地点のない会話にノイズを彩るだけだ。
「確かにそうだ。だけどさ、昔に持て囃された才能人が、どこかで何かやらかして、失墜しただの栄光の影もないだのと好き勝手中傷されることも、すごくよくあることだろ?」
 泳いでいた瞳が当惑ぎみに正面に戻された。その決まりの悪い目線を受け止めた俺は言い放つ。
「俺は常々、そうはなりたくないって思うのさ」
 古い椅子の背もたれに深く背を預けながら、右手のポケットで小さなプラスチックの円筒を撫ぜた。指の腹に伝わる冷たさは、いつでもなによりも、みみっちい俺にいろんなものを授けてくれる気がする。一番は、レーゾンテートルだ。
 七原の目縁が不穏そうに鈍った。
「惰性を続けて失敗して、それでも続けるしかなくなるよりも、完成どきを自分で見極められることの方がよほど素晴らしいのかもしれない――ってね」
 指に温度を感じながら、俺の脳みそは叔父さんの葬式会場を描いていた。
 俺は叔父さんに生きていてほしかった。これから先もいてくれるものだと漠然と思っていた。棺の中に入った叔父さんの真っ白な眠り顔を目にした時の義憤は、今でも簡単に取り出せる。
 あれから二年を生活に費やすうちに、考えはまとまりつつあった。叔父さんはよい時に死ねたのだ。己の価値を完遂し、そして完成したのだ。日に日に美化されていく記憶の中の叔父さんに、俺はそんな結論を当てはめることにした。癒えない喪失感や、この先の世界に根ざし続けることの恐怖には、その理屈で対処するのが一番手軽だったのだ。
 だけど本当は気づいている。——叔父さんが、自分で見極めて、あの時を選んだわけはなかったのに。
 この雷管やピアスは、俺にとって、すっかり完全な作品になってしまっていた。
 七原の顔には難色が浮かんでいた。躊躇いがちに目線を散らし、舌先で気まずそうに唇を舐めてから、
「…俺は、三村が何かやらかして“シッツイ”してもずっと、お前が好きだよ」
 つい噴き出した。教室のド真ん中で、そんな熱烈なこと言うなよ。