箱から取り出されたホールケーキは小ぶりな三号で、食べ盛りの中学三年生ならぺろりと平らげられてしまう程度のサイズだ。
内箱の側面にテープで貼り付けられた蝋燭は全部で十五本。俺の年齢の数。小さなものだが、すべて使うとなると難しいだろう。
無計画だったらしい三村は、長い人差し指と中指で赤い蝋燭がまとめられた小袋をつまむと、苦笑いを浮かべた。
「全部は使わなくてもいいんじゃないか」
こういうのは気持ちの問題だ。俺は彼の手から小袋を受け取ると開封し、五本だけ取り出して等間隔にケーキの上に刺していく。十歳から数えて、五年が経った記念日だ。
「横に刺そうかと思ってた」
「危ないだろ、それ」
準備していたライターで火をつけていく。川田の遺品だ。どこにでも売っているような、赤くて半透明なプラスチック製のもの。オイルは残りわずかだったが、切れてしまったとしても生涯捨てられないだろう。
暗い部屋に蝋燭の薄灯りだけがともる。そのほのかな光に照らされた三村の頬には、いたずらっぽいえくぼが現れていた。
「では、めでたく十五歳を迎えた七原秋也くんに、俺から一曲」
そして室内に調子はずれた歌声が響きだす。俺は一拍ごとに手拍子を叩いてやった。
「ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデーディア、七原」
こんな三村にも不得手なことがいくつかあって、その中のひとつが歌だった。その澄ました顔からはちょっと予想外の、ずれた音程で彼は歌う。けど、苦手だからって歌うことを忌避しているわけでもなくて、むしろいつだってノリノリだから、それがやつにしちゃ妙に抜けていて、好きだった。
「ハッピバースデー、トゥーユー」
俺は目一杯の拍手を打った。口笛を吹いて、アンコールと叫ぶと、三村はひとつ大笑してから、また歌い始めた。俺も声を上げて笑った。
二回目を歌い終わると、ありがとう、ありがとう、と、まるで周囲に聴衆がいでもするかのようにわざとらしく恭しい礼をした。面白がる俺に、三村は蝋燭の火を吹き消すよう言った。俺は肺の奥まで息を吸い込む。限界まで溜め込んだそれを一気に炎に吹きかける。ふっと消えて、一度視界は真っ暗に染まった。
その時、俺はふと不安になった。今しがたまでそこにいたはずの三村が見えなくなったからだ。なぜか、このまま彼が闇に溶けて消えてしまうような錯覚に襲われた。
けれどそれはほんの一瞬のことだった。すぐに部屋の照明がついて、ホールケーキも、それが乗ったテーブルや横にあるライターも、ケーキナイフも取り皿も、それから俺も三村も照らされた。彼は壁の消灯スイッチに手をかけて笑みを浮かべていた。
それからケーキを切り分けてくれた。小さなホールケーキを雑に五等分に、蝋燭を中央に据えるような形でカットしてから、皿に一つ取り分け、俺に差し出す。だけど三村は残った四つを自分の皿に取り分けることなく、そのまま箱に閉まってしまった。
「食べないのか?」
そこで俺は、テーブルの上に、そもそも三村の取り皿が用意されていないことに気がついた。気分じゃないんだろうか。
三村は頷いて、ただ机に両肘を預けたまま、俺を見ていた。
「今日の主役は七原だから、お前が味わってくれたらそれでいい」
食事はみんなで摂ったほうが美味いに決まっている。俺は不思議がりながらもそのケーキを口に運んだ。
プレーンなショートケーキは、特に取り立てて述べるべき感想もない、ごく普通の味をしていた。大味な砂糖の甘みと、ちょっとべたついた生クリーム。空気を多く含んだスポンジと、小粒のイチゴ。
「美味い?」
三村が問う。俺は美味いよ、と返した。美味くないわけではなかった、嘘じゃない。俺はまだガキだ。ケーキの味の良し悪しなんかより、特別な日にケーキを食べさせてもらえるという事実の方がよほど重要だ。
三村は満足げにしてから、「お前にプレゼントがあるんだ」と座ったまま屈み、テーブルの下からなにかを取り出した。
それは大体三十センチくらいの大きさの平たい箱だった。真っ赤なリボンが包装紙の上に巻き付けられていて、それが螺旋を描き、血のように長く垂れ下がっている。
「どうしたんだよ、こんなもの」
俺が破顔すると、三村はいいから開けてみろよ、と急かす。
俺はリボンを解き、むしるように包装紙を取り払った。そこにあったのはわりあいシンプルで無機質な紙箱だった。手に持ってみると、妙にずっしりとしている。一キロ近くはあるだろうか。
そっと上蓋を開けてみる。中に入っていたものを見て、俺は息を飲んだ。
そこにあったのは銃だった。無骨な艶消しのメタル。グリップのデザインはとても緻密で、バレルやマガジンも威厳と酷薄さをともなっていた。
モデルガンかと思ったが、箱を持った時の重厚感は、とてもレプリカだとは思えなかった。
「…三村? …これって…」
思わず三村を認めると、彼は肩をすくめ、シニカルに微笑した。
「お前の手に渡ってよかったよ」
よく見ると、グリップの部分に何かが付着している。それは硬く乾いてこびりついた黒い血液だった。
誰の血だ?俺は咄嗟に思い、口元を手で覆う。そしてすぐにいくつかの候補を思い描くことができる自分に気がついた。——三村?それか、桐山?
向かいに座った三村は、慄々と銃を見つめる俺を眺めると、一言、口を開く。
「それ、大事にしろよな」
走り続けるなら、そのまま持っていろ。
俺がはっと彼の方に視線を向けると、そこにはもう誰もいなかった。
かわりに冷めきった蝋燭の煙が、線香のように、細く、立ち上っていた。