田宮博を取り巻く環境は充実していた。
父母からよく恵愛されて育ったし、彼もまた同じように周りを慈しんだ。少なくとも、そのように努めた。それが集団生活において最も善とされる態度だと、彼は環境から学び取ることができた。故に、彼は幸福だった。
田宮博には血を分けた妹と、二人の幼馴染があった。
妹は名をタマコと言って、兄と同じく愛されて育ったものの、少々やんちゃで我侭なきらいがあった。そんな妹の存在は田宮の父性を育む助けとなり、やはり彼は、周りによく好かれた。
二人の幼馴染はそれぞれ田伏と金田という姓を持ち、二人とも、要領の悪い子供だった。小学校で度々行われるテストでは田宮の点を越えたことはなかったし、駆けっこだって、鉄棒すらも、田宮には敵わなかった。
それでも二人は、田宮の器量の良さに嫉妬するでもなく、ただ彼を慕った。彼の性質が成した結果だった。三人の間に起きていたのは間違いなく正の連鎖であった。
田宮博は友人と家族とに恵まれた、出来の良い子供だった。
そんな折、田宮博は石川成俊という、まるで田宮の境遇をそのまま引っくり返したような少年と、偶然距離を詰めることとなった。
石川は貧乏な家の出で、家族の団欒等に感けている時間があるならその時間を仕事に回した方がよっぽど生活の助けになる、という少年だった。しかし彼は、悲しきかな、まだ齢十一を迎えたばかりの子供であった。彼がどこかで欲してやまぬ、他者からの愛慕を、常に愛の傍で育った田宮は感じ取った。
田宮は理解していた。石川とどう付き合っていくのが正しいことなのか。
田宮は石川を案じ、構った。それまでの彼の空虚を埋めるかのように、田宮は石川によく付き合った。時間の経過に伴い石川が田宮を慕うのは、至極自然なことだった。
常川寛之は、非常に頭のいい子供だった。
彼が肌身離さず持ち歩くノートには必ずといっていいほど難読な文章や幾何学的記号、数式が克明に記されていたし、顔に引っ掛けた眼鏡はいつも相手の心理を探ろうと光っていた。彼の唇は朗々と言葉を紡ぎ、他者の心を掴んで離さない。魔術師のようだった。
一般的に見て子供らしからぬ、と言えば、そうかもしれなかった。
常川は大抵、大人から白い目を向けられて生きてきた。視線の意味は勿論、理解することができる――他者は、自分が変だと思っている。空気の読めない子だと思っている。変わり者には関わらない方がいい。なぜなら、理解できない存在…異物は恐ろしい――常川はただの子供と評するには不幸なほど、賢すぎた。
父に捨てられ、母に詰られて孤独に成長した常川は人間の価値観をいずれ嫌い、やがて無機物に固執するようになった。
常川が人間の価値観を嫌悪するのもまた、自然な流れであった。
田宮は正しく人間だった。人情を愛し、日常を愛した。彼には日なたがよく似合った。
田宮は、唯一だった。常川を真っ向から否定できる、唯一の常識だった。
田宮博には常川の理想世界を解することは困難だった。可能ならば、石川は勿論の事――常川すらも、自らの愛する日常に招きたかったのだろう。それが田宮の正義であり、善だった。
「タミヤ」
常川は彼の名を呼ぶ。冷淡な声だ。常日頃の、こちらを奮い立たせんとする演技めいた調子ではない。無機質を装っているかのように、変声期途中の不安定な声で、取り繕う。
「君はさっきからずっとルール違反をしてることに、まだ気がつかないのか?」
「タミヤ」
石川は彼の名を呼ぶ。悲嘆に暮れる泣き声だ。使命感に燃えて鋭く光る一つの眼も、今は鳴りを潜め、田宮に視線を一瞬投じ、地に落とす。
「助けてなんて言ってない」