無に帰す

 きったねー。
 三村が大ぶりなラップトップを前にはしゃぐのを、俺はどこか遠い世界のもののように見ていた。
 三村が言うには、モニターは、赤と緑と青の三色の光を混ぜることで無限の色合いを表現しているのだという。
 だとするともったいないことだ。このモニターが映し出しているのは澱んだグロテスクな赤ばかりだ。本当なら美しいピアスの銀も、道着のくすんだクリーム色も、並列に美しく描写できるはずだった。
 ほどほどのキーボードが鎮座しているのに、入力もほとんど受け付けない。唯一許されているのはテンキー入力だけだった。矢印キーを押し込むと様々な場所と死体の映像が映った。これは沖木島の、プログラム内におけるエリア区画が割り当てられたライブカメラのようなものだろう。俺と三村は結論づけた。
 三村は、H-6、農協の前で事切れた己の穴ぼこの屍を見て、感傷に浸るでもなく、ただ汚いと嘲ることを選んだのだった。
 俺は少し怒った。
「そんな言い方ないだろう」
「ひどい有様なのは事実だろ。あのままほっといてたっていずれ死んでただろうに、桐山って本当に容赦がないよな」
 事実、綺麗な死体とは言いがたかった。俺は直接この目で三村の死体を認めたが、ひどい、率直にそう感じたものだ。
 そして悲しいかな、その有様こそが俺に三村の死を、期待の一片もなく受け入れるべきものと定義してくれた。三村ほどの男が死ぬはずがない。外傷の少ない死体だったなら、俺は足を止めて三村の死んだふりを疑ったかもしれない。
「それに比べてお前の死体はきれいだったよな」
 俺の死体と、その上に折り重なった琴弾の死体は、さっき見た。予感はあったが、やはり直視できなかった。
 その一点については三村も慎み深い面持ちになる。テンキーを操作する指は俺たちの墓地を明らかに避けていた。琴弾そのものには頑なに触れようとしない三村の気遣いは、沁みた。
 だが、「行いの差かな」と嘯く冗談に一切の気心はない。それにブラックすぎて全く笑えない。
「関係ないだろ、そんなの」
「そうかな? 俺はちょっと思ったよ、女のコの気持ちを弄びすぎた罰なのかもって」
 俺たちの死体って、家族に返却されるのかな。
 三村は両腕を抱えて「恥ずかしー、それ」と笑った。「俺はこのまま捨ててほしいくらいなんだけど、杉村はどう?」
「帰りたいに決まってる」
「そりゃそっか」三村は面白げに肩をすくめた。
「なんかすげえ嫌だな。惨めの極地って感じだよ。『負けました』って大旗をぶっ刺されてる気分だ」
 ここに。三村は自身の遺骸の、特別大きな腹の穴を指さした。背中の穴と言ってもよかった。俺は目を逸らした。どうかしてるんじゃないかこいつ。なぜこの光景を前にしてそれほど愉快に興じられるんだ。
 三村の横顔は、言葉とは裏腹に、一種の爽快を宿しているように思えた。
「まあでも、桐山に負けたなら、まだ許せるかな。あいつなら仕方ないかって。そう思わねえ?」
「さあな」
「あいつ、いくら何でも殺しすぎだよな。そんなにせかせかしなくても、もうちょっと待ってくれてりゃ一緒に脱出できたのに。意外とせっかちだったんだな」
 言いぶりに、桐山への恨みごとはまったく潜んでいなかった。俺も相馬の芸術品のような面様を思い返して、——首を横に一度だけ振った。悪いのは、政府だ。三村の言動に代わりに滲んでいるのもまた、揺るぎないその結論だった。
「お前は」
「ん?」
「惑わされることなく、戦っていたんだな」
 三村はきょとんとしてから、すぐに「まあね」と唇に弧を引いた。その顔面の陰影を、赤いガジェットの明かりがなぞっている。三村はずっとこいつと向かい合っていたんだろう。その先に広がっていたのはきっと、いつでも、戦争だった。
「だけど、残念ながらもう、その戦いも終わったみたいだ」
 三村は凄惨な画面から視線を引くと伸び上がった。ワークチェアのランバーが、五十数キロの体重を支えて苦しげに軋む。そして唐突に言った。
「俺って、ズルいかもな」
「……なぜだ?」
 後頭部に両手を回して微笑む三村の双眸がやはり、妙な清々しさにきらめいているのを見て、俺は訊いた。これまでのすべての疑問も乗った。自分の死骸の様相を笑い飛ばせること、からっとした桐山への言及、浮かべている輝き。それらがすべて、見たこともない解放感に満ちている。
「後始末を生き残ったやつに全部押し付けて、自分だけはカーテンコールとしゃれこんでる」
 しかたないだろ。死んだんだから。
「そう思う? ——俺はさ、今ちょっと、自分に失望してるよ。『もっと悔しがれよ』……ってな」
 三村はさらに苦笑を描いた。それさえ自嘲を超えていた。ある観点では達観とさえ呼べる晴れやか。それで俺はふいに思った。三村は今まさに、傷の数だけひきちぎられたのだ。あらゆる地上からのくびきと。望もうとも、望まざろうとも。
 静かに目線を移す。モニターの中で、三村の屍が静止していた。特段大きく開いた腹から背中にかけての穴、それを取り囲むように身体に刻まれた幾重もの銃痕。手足にも隙がなく。頭にも一発開いていた。一度雨が降ったため洗い流されたようだが、それでも血の海としか形容できない中心に沈む三村の遺体は、生前に輪をかけて白かった。遺憾なく発色のちからが発揮されている。
 指先や首元や額、左隣の学生服からのぞく身体も真っ白だ。戦いを終えた色だった。ついさっき教わった単語がよぎった。全部の色光を混ぜると白になるという、加法混色。
 俺は胸の内が静かにくすぶるのを捉えた。三日間の全身全霊を賭けて、至れなかった境地。守れなかった後悔。相反する充足。それらをまとめて名付けるとすれば、おそらくこれも、失望だ。
「もう、いい」
 俺は三村の右肩を掴むと、多少強引にこちらを向かせた。三村の白い顔が謎に満ちていた。呆けた眉の形を見て、俺は口元にかすかな笑みを引いた。昔の三村がしきりにそうしたように。
「お前は解放されたんだろ。ならもうそれでいい。こんなものももう、見なくていい」
 俺は片方の手で、ラップトップの電源ボタンに人差し指をかけた。コンピューターを触ったことなど殆どないが、強制的にシャットダウンする方法は目の前の彼から聞いたことがあった。
 まだひとつ、お互いに、くびきが残っている。
「きれいだよ、お前は」
 俺は人差し指を押し込んだ。
 視界一杯にホワイトノイズが走り、無機質で無頓着な切断音が追って聴こえ、そしてなにもかも、消えた。