雨は音楽だ。雨“も”音楽だと言うべきかもしれない。
音の鳴るものであれば、たいてい七原にとっては好ましかった。ばかげた幼稚な感性かもしれないが、事実だ。
彼がロックギターに傾倒しはじめたのは言うまでもなく新谷の影響(あるいは退廃音楽がハズれててイケてるという、それこそ子供じみたあこがれ)に違いなかったけれど、実は己は至るべくしてそこに至ったのではないかと、七原はひっそり思っている。
可能性を築いているのは、いくつかの幼少期の思い出だ。たとえば、ペットボトルを潰したときの凹んだ音とか。冷たい窓ガラスをこすった時の、ひきつれた嫌な音鳴りとか。満杯の水が入ったグラスと空っぽのグラスとでは、叩いた時の音の高低が異なるという、発見。そういうものに、ちょっとした未知を感じていた。
そう。俺はずっと音楽が好きだったんだ。だから必然的にここに辿り着いた。多少無理やりだけど、関連性をそんなふうに見出せるのって、なんだかロマンティックじゃないか。
最たるものが、屋根や傘の表面を叩く雨だった。
家の屋根を容赦なく打ちつける豪雨に、少しわくわくした。ノイズを丸く削ぐと、きっとこんな形になる。無数の雨粒の下では、数えきれない音程が歌っているはずだ。狭苦しいアパートの天井に耳をそばだてていると、とうに亡き父が、稚い好奇心に微笑んだ——それもこれも全部、おぼろげな記憶だ。
七原は幼い頃そうしたように、頭上にある傘の骨組みを眺めた。今はビニール傘を滑り落ちる雨垂れの形まではっきりとわかるようになった。ボタボタと鳴る大きな音を聴いていると、あの頃に戻ったような気分になる。そうやって七原は校門の前で、三村を待っていた。
三村は走ってやってきた。
「傘忘れた、俺」
声を張りながらスポーツバッグを身体の上に掲げる三村を案じ、わずかに傘を差し向ける。「風邪ひくぞ」
三村はバッグと傘を見比べた。最後に曇天から降り落ちる大雨を見やり、肩をすぼめて傘の中に入ってきた。
「狭い」文句と予期を垂れる。「こんな小さい傘じゃ、結局濡れるだろ、お互い」
七原は笑みをこぼした。雨音にまぎれて聞こえなかったふりをして、歩き出した。
三村は帰路の途中、ずっと地面を睨んでいた。正確には、一歩のたびに贔屓のキャンバスシューズの下に広がる水紋を。雨なんてこの世には不要だと、自然科学の一切を否定する言葉を漏らしながら。
一方の七原は鼻歌でも口すさびそうで、三村は訝しげに唇を曲げた。「七原、雨好きなんだな」
「まあまあかな」七原は答えた。「嫌いな天気がないだけかもしれない」たぶんあの頃もそうだった。
「羨ましい限りだ」三村はしとどに濡れていく右肩を忌々しげにねめつけた。
それから三村ばかりが喋った。季節の変わり目にわが身を冷やす気温への不満、天気予報を軽んじた今朝の失敗などについて。そして七原が傘を持っていたことと、帰りが偶然被ったことへの幸運を賛じ——やがて眉尻を下げて、黙った。
「……どうした?」
三村の顔つきに気付いて七原は訊いた。三村は眉間にしわを刻んだ。
「おまえ、今日ずいぶん無口だな」
「そうか?」
「なんか気味わりぃ」
七原が胡乱の乗った目元を見返すと、三村は口を尖らせた。機嫌が悪いようにも見えないので、そう言っているのだろう。
「ひどいな」七原は笑い飛ばしてから、かすかに目を伏せた。
すると聴覚が鋭さを増す。丸みのある美しい連続したノイズと、そこになめらかに収まる三村の声。時折雨音に負けてかき消されるけれど、七原にとってはそれすらも——だった。
「なあ、もっと喋ってよ」
「なんだよそれ」
三村ははつかに首を傾げた。だがねだられたことには気をよくしたのか、ふたたび景気よく喋り始めた。ほとんどくだらない、聞き取れなくてもさして問題ない与太話ばかりだった。
七原は聴き入った。傘の外に差し出した左肩は濃い冷たさを帯びるばかりだが、この瞬間の、新たな発見の前には些事だった。
いま、ギターがここにあれば。取り出して歌いたい。調和された快い音の前に、ミュージシャンって生き物はすぐ、セッションを仕掛けたくなる。