お付き合いってやつは厄介だ。
一緒にいるほど情が沸く。独占欲というものが前に出てくる。最初に取り決めた契約——つまり、あとくされない関係でいましょうね、という契約だ——を忘れ、感情のままにそれがあらわになっていく。何度も聞いたセリフをそらんじることは、もはや難しいことではない。三村くん、私のことどう思ってるの? 私、あなたの彼女になりたいの。
主題から逸れてしまったそれを本筋に戻そうとすると、彼女たちは怒って俺をひっぱたく。ひどいじゃないか、俺ははじめにしっかりと契約内容を定義してやったというのに。合意締結の上での関係だ。だからお付き合いは面倒くさい、みんな決まって約束を忘れてしまうのだから。
情に振り回される人間ってやつは思いのほか多いのだなと知った。みんながみんなクールでいられるわけじゃない。内にくすぶる情熱に焦がされて浮ついてしまう人間の方が、おそらくこの世ではマジョリティなんだろう。
そういう厄介をステップごとに踏み抜き続けたやつだけが真の愛というものに辿り着けるのだとしたら、結婚まで辿り着いた男女はとても偉大だ。人生における最大級の契約。なんだかとても途方もない話に感じる。もっとも、契約不履行に終わる事例が少なくないことも、俺は己の環境をもって実感しているのだけど。
「琴弾のどこがそんなにいいの?」
ふと聞いてみると、杉村は露骨に嫌そうに顔をしかめた。そんな顔しなくたっていいじゃないか。
「なぜ今そんなことを聞くんだ」
窓の外はきんと冷え切り、わずかに曇っている。受験勉強のためと称して杉村宅に押し掛けた俺は、結局ノートに一切手をつけることもないまま、彼の肩にもたれて鉛筆を回していた。沈黙は頻繁だが、心地よかった。肌寒さを理由に身を寄せることが正当化されるのなら、今ここで急にキスしても、胸元を這うシャツのボタンを寛げたとしても、彼はきっと驚かないだろう。けれど杉村は抵抗心を見せるかのように参考書に目を落としている。のったりとした様子で目線を左右させているが、内容が頭に入っているのかいないのか。
「いいじゃん別に」
「言いたくない」
「どうして?」
「お前には信用が足りない」
ひでーの。
からからと笑うと杉村はばつが悪そうに目を伏せた。確かに軽いとよく言われるけど、ひとさまの意中の相手をあちこち言いふらすほど考えなしに生きているつもりはなかった。ちょっと心外だ。
文句を垂れると杉村は、あー、いや、と口ごもる。
「言いふらされる心配をしてるわけじゃない、ただ……」何秒かの間ののち、言葉を慎重に選ぶように「他人に預けずに、一人で抱えていたいものなんだ」と言った。
そういうものなのかと俺は思った。まともな恋をついぞしたことがない俺には想像できかねた。
友人の姿を思い浮かべる。豊は金井泉について話す時、もっと饒舌な様子だった。飯島も、よそのクラスの、感じのいい女の子の話をする時はよく喋っていた気がする。
彼らのそういった姿はわりと好ましかった。成就した時には「厄介なもの」に変容するものかもしれないけれど、だったとしても、素直な好意の形を感じるのはそれほど嫌いじゃなかった。
杉村は日頃から、比較的に、寡黙でぶすっとしている。七原と三人でいる時もそうだ。俺と七原ばかりがずっと冗談を言い合っていて、時折笑みをたたえたり、ああとかうんとか低い相槌をこぼす程度、ということも日常茶飯事だった。
「俺にも?」
「誰にもだ」
首肯する杉村。それ以上話してくれそうにはなかった。
ぼんやりと見上げる。しっかりとした形の顎と、引き結ばれた薄い唇。まるで番人のようだ。
そう考えると胸がくすぶった。こいつが番人なら、俺は閉ざされた両扉を開けるすべを持たず途方にくれる、招かれざる旅人だ。
「じゃあ、俺は?」
杉村は一度参考書を閉じて、やっと俺を見た。
「俺のどこが好き?」
瞬きをして俺を見つめたあと、どうした?と彼は笑った。再び本を開いて視線を落とそうとするから、それを左手でつまんでベッドに放り投げてやる。
「おい」
「俺のどこが好きって聞いてんの」
真剣にとりあう様子のなさそうだった杉村は、少し狼狽したのち、いっとき緊張を走らせた表情をふっと緩ませると、俺の頬に片手で触れて、ゆるくつまむようになぜた。
「しいていえば、たまにそうやって面倒になるところは、それほど嫌いじゃない」
やばい。俺、ちょっと厄介だったかも。