バルド

「トマト投げ祭りだって」
 珍しく活字だらけの本を広げていた七原が、その中の一文を指さした。それは諸外国の行事や記念日を紹介する趣旨の本で、内容こそ平和的だが、この窮屈な国においては、見つかると大目玉を食らう可能性を秘めたものだ。学校帰りに漫画目当てで寄った古本屋で投げ売りされていて、物珍しかったから、興味本位で金を出し合って買ったのだ。
 スペインのとある街で行われるらしいその祭りは、七原の興味を引いたようだ。面白そうと想像を巡らせる彼の声音は至極のんきなものだが、ある種切実さを孕んでいた。
 顔を突き合わせる三村は、トン単位で消費されるトマトに触れて、戦争が全部こんなものだったらいいのにと笑った。
「植民地だか領土拡大だか知らないけど、そんなくだらないことで人が死ぬよりよっぽどいいよな」
「トマトがもったいないって怒るやつはいそうだけどな」
「国民性ってやつ?」
 ページを捲ると、また妙な記念日ばかりが羅列されている。
 アメリカでは三月十四日を円周率にちなんでパイの日とするのだという記述。それを七原が取り上げると、三村はくだらないとこぼした。
「お前みたいな発想するところだな」
「俺が食い気しかないみたいに言うなよ」
 憧れのアメリカごと言い放たれて、七原は唇を尖らせる。三村はそれを適度に流しながら文節を目で辿っていった。ある単語になんとなく目が留まる。
「死者の日だって」
 脇に、この本がフルカラーであったならさらに鮮やかに目立ったのであろう、派手な祭壇や墓地、髑髏の形をした砂糖菓子なんかの写真が記載してあった。グレーの濃淡で彩られたマリーゴールドは、モノクロであってなお華やかに見えた。
「お盆みたいなもんかな」
「そうなんだろうな」
 メキシコのお国柄というやつだろうか。賑やかなそのあしらいは三村の目には羨ましく映った。我が国のお盆とは湿っぽくていけないと常々三村は思っていた。厳粛に送り出すべきだという理屈も理解できるし、叔父の葬式が明るくあったとてとても乗り気にはなれなかっただろうけど、もし自分が死んだらその時は景気良く見送ってほしかった。
 近いところには他の国の、死者にまつわる行事の記録がまとめてあった。中国で四月に行われる清明節。カンボジアのプチュンバン、これは九月か十月。
「ハロウィンってやつもそうか」
 この国じゃ、トリックオアトリートなんてうそぶいた日には即反逆者認定のため、ハロウィンなんていう単語は別世界のものだった。が、点在する学識をかきわけていくと、死者を弔う行事の一種だったはずだ。
「なんていうか、年中こういうのあるんだな」
 七原が言った。三村も確かにと思った。自国規模で考えると、亡者が帰ってくると言われるのは真夏くらいのものだが、世界という広い視点で見ると、いつでも彼らが帰ってくる余地はあるように思われた。
「じゃあ、もし俺が死んだとして、いつ戻ってきてもいいわけだ」
 軽く述べると七原は咎めるような顔で三村を見た。七原はこの手の類の冗談を嫌う。もちろん知っていたが、だからといってジョークの質を変えることを三村はしなかった。
「俺が化けてお前と再会した時」三村は頭の中で蓄えたばかりの単語を反芻していく。「今は清明節だから、今はお盆だから、今は死者の日だからって、あれこれ言い訳できるようにしとかないとな」
「なんで死んでる前提なんだよ」
「嫌?」
「そりゃ、その時お前がもう死んじゃってるんだとしたら、きっと嬉しいと思うけど」
 七原もまた、一年を通して釈明を並べ立てながら居座る幽霊の三村の姿を想像しているようだった。不謹慎な妄想への忌避感と、三村との奇妙な生活に対する滑稽さが同居した、妙な笑みを浮かべていた。
「そうだったら、友達が死んでもう会えないなんて悲しいこと、考えなくていいのにな」
「なら、俺が死んだらそうしてお前の前に現れてやるよ」
 三村らしくないファンタジックな話に七原は破顔した。本当にそうしてくれたら、幽霊のためにわざわざ部屋のものを誂えて、食べられるかもわからない焼きうどんを飽きるまで出して、おもしろおかしい生活の中、いつまでもここにいたいって言わせてやるんだ。