お前って、いつまで経っても決定的な言葉をくれないよな。
杉村の退屈な背中にクレームをねめつけていると、それは姿勢をそのままに露骨な音を発した。「なんだ、藪から棒に」あ、もしかして口にしちゃってた? 俺。
「いや? 別に、ちょっと思っただけ」
「にしてはずいぶん刺々しいな」
杉村は作業の手を止めない。床に腰掛けるやつの目の前には、組み立て途中のメタルラックが構えている。俺の問いに真正面から答えてくれているのは、けたたましいゴムハンマーであり、彼の肉声や視線などではない。黙々と作業に没頭する杉村の広い背は、やっぱり無味簡素だ。
「俺さあ、そろそろ次に行こうかなって思っちゃってるかも」
ゴムハンマーの金切り声がおさまった。棚板をひとつ設置し終えた杉村は、ついに胡乱げなようすで肩を回して振り返った。想像の範疇ど真ん中の、マニュアルどおりの仏頂面。
「お前なあ」杉村の落ち着き払った低声には、そうとわかる程度の苛立ちが潜んでいた。だけどこれは、俺の想像の少し上を走っている。まあ流石に、そりゃそうか。「これをやってくれと頼んでおいてそれか?」
「お前が使えばいいじゃん。俺出てくから」
「いい加減にしろよ」
口ではしっかり咎めておきながら、ふたたび作業に戻ってしまうのが倦怠のなによりの証明だ。俺が本気じゃないことを、きっと判っている。そうされると時々俺は、本当に離れてしまいたくなる。そういう衝動に駆られる。
「お前って本当に俺のこと好きなの?」
杉村は無反応だった。俺はこのせりふをしょっちゅう茶化して使うけれど、徐に痛切を及ぼしてしまった時の杉村の対処は大体二択で、大凡はこっちだった。
杉村はラックを設え終えると、ポールをガタガタと弄って耐久性を確認していた。やがて得心がいったのか、立ち上がると「ほら」俺の問いを無視し、棚を親指で指した。「終わったぜ。好きに使うといい」
俺は「どうも」と吐き捨てた。本当に出て行こうと決意した。私室に飛び込んで、床に転がっていた小ぶりなリュックを背負った。唐突に放り出された杉村が「出かけるのか?」と声を投げるのが聞こえたけれど、振り切って四十平米を飛び出した。知らねー。
それが昼前の話だ。夜更けの俺はもうアパートの前に立ち尽くしていた。ダサすぎる。しかも杉村がこの間珍しく美味いとコメントしていた芋焼酎を抱えている。ダサすぎる。
夕方から行儀悪くバーで飲んだくれていたら、女に言い寄られた。相手しているうちにめんどうになって、そうしたら擽るように杉村の顔が見たくなってしまった。女を適当にあしらって、閉店ギリギリ前の酒屋に飛び込んで焼酎を買って、結局引き戻されるが如くここにいる。
腕時計を見た。杉村ならきっともう寝ているはずだろう。
俺は合鍵をそろそろと差し込んだ。極力音がしないように、慎重にドアノブを捻った(これもダサい)。そっとドアの隙間に首を入れて、部屋の中が真っ暗になっていることを確認してから、猫よろしく身体を滑り込ませ、玄関に鍵をかけた。
酒を冷蔵庫にストックした。そして忍者のような動きで移動すると、もとの場所にリュックを放り投げた。またすり足で脱衣所に逃げ込んだ。引き戸をぴっちりと閉める。俺ひとりの空間。杉村の気配は、ない。
シャワーを浴びながら自責と他責を反復した。だって止められねえよ。あいつがちょっとは言葉で示してくれたら、俺だって少しは考えるさ。頻度だって減るかもしれない、……多分。
女が酒の勢いでべらべら愛だの恋だのについて語るのを、なんとなく羨ましいと思ってしまった。俗っぽいったらありゃしない、俺はこういう安っぽいタイプはゴメンだね。出会って数分でそう切り捨てたはずの女は、けれど、俺や杉村よりもよっぽど簡単に、愛のハードルを飛び越えてみせていた。普通はそんなモンなのかな。俺たちがちょっとおかしいのかな。
いつまで学生みたいなことをウジウジ称念してんだよ。俺は。
サッと体を清めて風呂を出た。タオルドライした髪はまだ湿気を含んだままだ。スキンケアもてきとうに終わらせてしまった。
リビングを横切った時、視界の端に、午前中に杉村がセットしてくれたメタルラックが映って、俺は足を止めた。
まだなにも載っていない、まっさらなラック。
色々しまおうと思っていた。俺がすぐにものを買うから。本やらゲーム機。ガジェット、あとはスピーカーとか。
立ちすくんでいると、
「帰ってきたのか?」
突然寝室の扉がきしむ音がして、俺の肩は勝手にいかった。逆光の中で、杉村がはっきりとしたまなざしをこちらによこしているのが見えた。……眠っていなかったらしい。
「ああ」俺はつとめて軽く答えた。「なんだ、起きてたんだ」
「まあな」杉村は肩をわずかに上げた。「一応待ってた」
なんだよそれ。
杉村は俺の姿を認めると、視線を頭頂部のあたりに逸らして小さく笑った。
「髪、まだ生乾きじゃないか。ちゃんと乾かしたのか」
「……乾かした」
「風邪ひくぞ、そのまま寝ると」
そしてすっと寝室に引っ込むと、ごそごそとクリアチェストの引き出しを開ける音とともに、
「拭いてやる。こっち来い」
なんだよそれ。俺はもう一度思った。
けど足は意志とは真反対に、ぎこちなく寝室へ向いた。扉の中に、余りのバスタオルを広げる杉村の大きな背があった。
味気ない、でかいだけの背中。
俺はゆっくりと近づいて、杉村のそばに腰を下ろした。
杉村は上体を俺の方に向けると、タオルを乱雑にかぶせ、その上からわしゃわしゃと頭を掻き混ぜた。
その力強い動きに翻弄されながら、俺は顔の両端に垂れ込むパイル生地を敵視しつつ、訊いた。
「お前は不安にならねえの。そういうのなくても」
杉村は一瞬動作を止めた。なんの話か考え込んでいるような雰囲気があったが、やがて柔らかい生地が俺の短い髪を包む感触がもう一度伴われて、
「まあ、なくても伝わってくるからな」
俺はとうとう不貞腐れた。
だから、そうだとしても俺には足りないって、こっちは言ってるんだよ。