今思うと、叔父さんはだいぶおかしかったのかもしれない。
ふつう、小学校も出ていない甥っ子に、退廃教育なんて叩き込まないと思うんだよ。
しかもこのイカレ国家でだぜ。自分の危険思想をまるごと――ご丁寧に、スキルのおまけつきで教え込むなんて。それってとてつもなく危ういことだって思わないか? 「一緒に死んでくれ」って言ってるのと変わらない。
それで俺、どっちだったんだろうって、考えたのさ。
一方は、調子に乗ってしまってたって説。つまり俺があまりにかしこくて、なんでも吸収するもんだから、ことのほか教鞭に熱が入っちまったってことだ。
もしかしたら、そこまでするつもりはなかったのかもしれない。だけどほら、ただでさえ肩身が狭い存在だろ、反体制派ってさ。それに叔父さんって少し——まあ、かなり——不器用っていうか、孤独なひとだったんだよ。俺にそっくりとか言うなよな。そんなこと一言も言ってないって? はは。
叔父さん、子供いなかったからさ。仮に俺を、息子の代わりみたいなもんだって、……思っ……、……ああ、悪い。……思ってくれてたとしたら、そりゃあ愉快なことだったろうよ。一般的な父親は、息子が自らの背中を見て育つのを、嬉しく思うんだろ?
けどさ、息子の代替とまで見てる甥っ子に、そんなに危ない橋を渡らせるものか? 俺はさ、叔父さんほどのひとが、そんな簡単なことに気づかなかったとはとても思えないんだ。
もうひとつの説はなにかって? そりゃお前、言うまでもないだろ。わからないか?
願ってた、ってことだよ。「一緒に死んでくれ」って。
「やめろ」
言い切る前に、杉村の鋭い制止が飛んできて、俺は口を噤んだ。
片頰笑みを浮かべてみたが、三白眼に乗った冷たい眼光は静かな激しさを増すばかりだ。
「ただの思いつきの話だ」
「だったとしても、言うな」
「……なに。そんなに怒ることないじゃん」
ちょっと話してみただけだ。けれど杉村の表情は険しかった。
怒るだろうとは思っていた。怒ってくれることを期待していたとさえ言えるだろう、俺は狡いので。
だが、予想以上だ。ただでさえ威圧的な風貌は、俺でもビビるほどおっかない。今すぐ殴られそうだ。喉の奥が固くなって、まったく二の句が継げなかった。何を言われても柳に風だったんじゃないのか。
「お前は叔父さんが好きなんだろ」
「……そりゃ、もちろん」
「それなのに追いやるのかよ」
「追いやるって。……そんなつもりじゃ」
「お前は、いつもそうだ」
杉村の全身に力が入る様子が、服の上からでもわかった。声も圧を孕んで低く、感情を抑え込んで時折揺れた。杉村がそんなふうに話す姿を、俺ははじめて見た。
「なぜそこまで他人を信じられない?」
「な……なんでそんな話になるんだよ。信じてるだろ。お前のことも。豊や七原だって……」
「違う」
杉村は噛みつくように口を開き、俺を睨んだ。射すくめられるとはこのことか。
「お前は俺のことだって信用してない」
「そんなこと、」
反論を挟ませる隙も与えずに、杉村はさらにまくしたてる。
「どれほど態度で示しても、お前はずっと試すだろ。さも正論のように語るけれど、お前はただ逃げてるだけだ」
「……よく喋るな、おまえ。そんなに喋れるなんて知らなかったよ」
「俺にならいい。瀬戸たちには——よくないが、目を瞑ってきた。だけど、お前の叔父は、違うだろ。お前が言ってることは」
冒涜だ。大事な人への。
杉村の重苦しい言葉が空間に落ちた。音にして四文字のその単語を耳にした瞬間、胸をわし掴まれたような感覚に襲われた。
頬や首が熱くなる。汗がにじむ。耳のそばで、心臓の鼓動がしはじめた。――そこまでのことを言ったかな、俺? ちょっと思いつきを話してみただけだぜ? めまいがする。吐きそうだ。
「わからないだろ、実際のところは。お前、俺の叔父さんに会ったこと、ないだろ」
咄嗟にこぼしてみたが、かすれすぎだ。ああくそ、これほど弱々しい声じゃなんの説得力も持たない。堂々と話すのは、相手を巻き込む基本中の基本だっていうのに。
杉村の返答は、速かった。
「実際がどうかなんてことは関係ない。俺は、お前の中にいる叔父さんまで追いやるなって、言ってるんだ」
杉村は俺の右肩を掴んだ。身がすくむほど乱暴な動作だった。だけどすぐさま、穏やかで丁寧な手つきに変わる。指先は力をうまく逃しきれず、わずかに震えていた。
それが懸命に優しい動作で、俺の腕を、背を手繰り寄せた。
「……お前、叔父さんを信じられなかったら、誰を信じるんだよ」
杉村の腕の中は、いつもと同じ、穏やかな温かさをたたえていた。俺は小さく息をつく。だけど体に走ってしまった緊張は、ほどけなかった。
「頼むよ」
杉村のその声が、怒りではない、別の理由でちらついているのに、気づいてしまったからだ。
すうっと理性が引いて、混乱で頭が一杯になった。どうしよう。その言葉しか浮かばなくなった。どうしよう。情けねえ。落ち着けよ。ただ、俺は、ただ少し——
「杉村。……杉村」
俺の視界いっぱいに、杉村の着ている黒いシャツの布地が広がっている。それしか見えなかった。顔を覗き込むことさえ許されない強さで、杉村はいまや俺の上体を、抱き留めていた。
「ごめん、もう言わない。言わないから」
口で言いつつも、胸の内にある疑いまで払拭できたわけじゃなかった。
俺は叔父さんの手でこの獣道に引きずり込まれた。それって愛って呼べるのか? いいんだ、ただのエゴだったとしても。世の中ってほとんどそうだろ。だからって俺の敬愛が揺らぐわけじゃない。ただ俺は視点を提供しただけだ、自分に。この獣道に。
だけど杉村の広い腕が、こんなに切実に俺の背を抱くことがあるのだと知ってしまったら。もう、口にはできなかった。とても。
「ごめん、杉村」
俺は杉村の背に手を回して、添えた。上下に擦ろうと思ったが、これもできなかった。
杉村の唇からかすかな吐息があふれるのが聞こえた。それは安心の溜息だったのかもしれないし、あるいは後悔か。もしくは、諦めだったのかも、しれない。