旅路は天へ、銀河まで

承:1025年2月 中

 それから数週間が経ち、暁は再び奇妙なこの夢に再訪した。危惧していた再会は無事に叶ったが、桂は残念そうな表情だった。
「どうやら、この夢での記憶は、現実には持ち越せないようですね」
 それは暁も気が付いていた。眠っている間は取り出せるのに、起きている間は一切よぎることもないのだ。これが本当に天界の実験なら、道理かもしれない。情報交換が叶えばあまりに一族に有利だし、謀反の方法だって色々思いついただろう。
「貴方からせっかく教えられた知識は、無駄だったということになる」
「まったくの無駄ってことはねえだろ、きっと」
 暁の下手な励ましは、それでも桂にわずかばかりの苦笑をもたらした。
 桂は、地獄の最奥部には辿り着きましたか?と暁に問うた。
「おう、そこにはでっかい塔があってな」
 暁は修羅の塔の話をして聞かせた。はびこる鬼たちにはかなり苦戦させられた。あれは決戦までに十全な準備が必要だろう。黄川人はあれらより何倍も強いのだ。
 もうひとつ、必ず話さなければならないことがあった。それは黄川人が暁たちに述べた真実だ。
 黄川人を倒すためだけに計画的に生み出された朱点童子、それが自分たちの正体だということ。
 暁の心は、その程度の言葉で揺らぐことはなかった。彼にとって己の正体が朱点童子か、人間かというのは些末な問題だった。暁は悲願を叶えるため、そして純粋な己の衝動のためだけに戦っている。
 どこまでも続く腕試し。それが暁の戦う最大の理由にして衝動だった。
 すべてのことが壮大な遊びであると、暁は感じていた。むろん、ふざけてとりかかっているわけじゃない。ただ、訪れる試練は楽しまなければ損だと思っていた。そしてそれをひとつ乗り越えるたび、達成感という名の歓喜が身に降った。すべてのことは叶えられると思っていた。そしてそれこそが家族を守る力にも直結した。暁の骨に分厚くついた筋肉は、なにもかも自信でできていた。
 だけれど、家族まではそうじゃない。相棒の望や、妹・弟分の来花に樋掛、生まれて間もない望の娘である叢雲の沈痛な面持ちは、暁にはどうしようもないものとして脳裏に焼き付いている。
 それを話すと、桂は存外冷静に、その事実を受け止めた。
「しょっくを受けないんだな」
「僕たちが特別な存在であることはわかりきっていましたから。それに、僕たちが朱点童子だったからといって、やるべきことが変わるわけじゃない」
 桂は暁のように事象をとらえているわけではなかったけれど、己をしっかり持っている男だった。きっとその芯に連ねられているのは、責任という単語なのだろうけど。
 ふいに、桂が黄川人と相対する、叶わないだろう姿を思い為した。きっと桂は、その時を迎えることができたなら、頼もしい当主になっただろう。

 もうじき遂げられる本懐について興奮気味に話す暁を、桂は受け止めた。
 話していて気づいたことだが、天ノ川一族は強い。同じ時期にはじまったはずの戦いなのに、もう悲願のへりに手をかけようとしている。仲は、まだまだだ。
「やっぱり、貴方が行くんですか?」
 そう問われて暁は考える。それから、まだわからねぇと返した。
「それができたら一番いいけど。塔の鬼は、マジでとんでもなく強かったんだ」
 もう少し考える、と頭を掻く。暁は考えることが不得手だったが、当主としてのつとめは最低限果たしている。それを聞いた桂は納得のいったようにため息を漏らした。少なくとも無計画に行くと頷かれるよりも、好感を持ったらしかった。
「オメーみてえに難しいこと考えるのが得意なやつがひとりはいたらいいんだけどさ、今はいねえんだ」
 暁はからっとして笑った。今は、ということは、過去にはいたのか、と桂は訊ねる。
「いや、過去にも、そんなにいなかったかも」
「ええ」
 あからさまに呆れた顔を見せられる。暁はそのまま、家族の話に軽く触れた。
「うちは、なんていうか、できそうなやつが仕方なくやってる、って感じだったよ」
 もう亡くなってしまった家族のことを挙げた。短気な弓使いの白羊。暁が特別敬愛する兄貴分、爆戦。母とその双子の兄。1ヶ月もともにいなかった、だけど印象的だった前当主の剣士の、宙。
 それら名前をつらつらと挙げ、だけど頭脳戦が得意なやつはひとりもいなかった。みんな頑張ってやっているというふうだった。そう述べて暁は組んだ腕を頭の後ろに掲げた。
「よく回ってきましたね…」
「まあ、だから、なんとかなるって思ってるんだ。みんな」
 同じ悲運を背負っているわりに、ずいぶん家の雰囲気は違うようだ。
「苦労しそうだ」
 そんな暁に桂は失笑した。言葉とは裏腹に、どこかその笑みにはあたたかさがある。羨ましがったのか、なにかと重ねでもしたのか。ふいにといったようすでこぼされたその言葉や表情に、暁はふと思った。
「いつもそんな調子だったらいいのに」
「え?」
「そのつまんねえ敬語もやめてさ」
 すると、桂は目を丸くして暁を見つめた。暁は言葉選びが気に障ったかと思ったが、そうではないらしく、何か驚いたような顔持ちで暁を見つめ続けている。
「…どうしたの?」
「いえ、その、僕の家族と、似たようなことを言うものだから、少し驚きまして」
 桂の家族。そっくり同じことでも言ったのだろうか。暁はにわかに、興味がわいた。
「そいつ、どんなやつ?」
 何気なく聞いてみる。桂は、一旦口を開いて閉じて、しばしどこまで話すべきかと目線を巡らせたあとに、思い直した様子で答えた。
「大雑把だ。とても」
 夢の中でしか出会わない幻想のような存在に、なにを話しても構わないと思ったのかもしれない。そこからは流暢だった。壁のように穿たれていた敬語がほどかれた。
「適当で、向こう見ずで。深いことは何も考えてない。元気で、すごく馬鹿で、いちいち振り返ったりしないし、これからやりたいと思ってることについてばかり考えてる」
「ふうん」
「髪は、金色。目や肌の色は、あんたのものに似ているな。…あんたは…壊し屋?」
 一度桂は話を止めて、暁を見やった。暁は自分の鍛え上げられた二の腕に一度視線を落としてから、おう、と頷いた。桂もひとつ頷いて、続ける。
「春日も壊し屋なんだ。いつも前線に出てるから生傷が絶えなくて、それで……」
 顔を上げながら話し続ける桂の目は軽く伏せられ、長い睫の影が頬に落ちている。ふっと目を開けると、今しがたまで伏せられていた、その自身の右目を指さして言った。
「以前敦賀ノ真名姫と戦った時、流された拍子に、ここにがれきが刺さった。円子でも治らなかった。それで、今でも眼帯をしてるんだ、ここに」
「眼帯」
 それは大けがだなと暁は思った。頑丈にできている一族は、たいていの傷なら再生してしまう。天ノ川家でも何度か死にかけたやつがいた——祖母はそのまま戦死してしまったとも聞く——が、それもすっかりとは言わないものの治った。その”はるひ”という女の右目が治らなかったということは、相当そこの具合が悪かったのか、ほかの大事な部位への再生に力が注がれて、足るに至らなかったということなのだろう。それほどの死闘だったということだ。
「でも、全然気にしてないんだ。その時に言われたよ、つまんない敬語より、ため口聞いている方がよっぽどいいって。そんなこと言ってる場合じゃないのにな」
 そんな大けがを「全然気にしてない」と言いきれるなんて、相当だ。彼女はきっと、驚異的に豪胆だ。鈍感だとか馬鹿なんて言葉じゃ片づけられないくらい、前向きで、強靭だ。逸材だなと暁は呟く。呟いて顔を上げて、少し驚いた。
 桂は微笑っていた。いつも浮かべている嫌味めいたものとは明らかに違う、いたわるような優しいものだった。暁は思わず目を奪われた。桂が浮かべているであろうその女の姿にではない、はじめて見るその愛おしむような彼自身の笑顔にだった。
 彼女のことが好きなのだろう。そう思った。おそらくとても、かなり。桂が自覚的かどうかは知らないが、暁の目にはそう映った。敬語の抜けた口調も相俟って、最初の冷たそうな姿ではなくて、こちらが桂の本質のように感じられた。
「はるひって言うんだ。女?」
「そう、女。でも全然女らしくない。着替えだって目の前でするようなやつなんだ。どっちかっていうと、少年みたいで。髪だって長いから、黙っていりゃ、それなりに見栄えするかもしれないのに…」
 そこで言葉を切って、一度桂は黙り込む。彼女の着飾った姿を想像したらしい。そのまま肩をすくめ、
「けど僕なんかよりよほどがっちりしているから、無理かも」
 おどけた感じで言うものだから、暁はちょっと噴き出した。大男みたいな女を思い描いた。決して不細工じゃあないんだと桂は補完するが、暁の春日予想図は簡単には変わらなかった。
 けれど、と暁は桂を見た。桂の思い描く”春日”の姿は、大男みたいだったとしても、不細工でも、絶世の美人だったとしても、ひとしく好ましいのだろうとも思った。そういう目を彼はしていた。
 きっと、その春日という女は、桂と長い間をともに過ごしてきたのだろう。自分にもそういう存在がいる、暁は大切な家族の姿を思い浮かべた。相棒。戦友。家族。好敵手。彼女は女だから、少々違うかもしれないが。
「あんたの家族の話も聞かせろよ」
 桂は相好を崩して言った。天ノ川家に興味を持ったというよりも、単に自分ばかりが語っているのが恥ずかしくなったように見えた。暁は話し出す。自分もなんだか家族の話がしたくなったのだ。
「俺んちにも一杯家族がいるぜ。来月には俺の子も来るんだ。今一番年長なのは、望っち——ああ、望って言って、俺の親戚にあたるんだけど」
「親戚?」
「そう。さっきも言ったけど、俺の母親は双子でさ、その、双子のアニキの息子が望っちなんだよ」
 暁は相棒である望の話をおもしろおかしく聞かせてやった。桂がどこまで興味を示したかはわからない、途中からは生返事だったかもしれない。だけど話したい気分だった。
「望っちは、すげえ剣の達人なんだ。器用で超強いんだけど、ひょうきんで、吹き出物ばっか気にしてる変なやつなんだよ。髪だってハゲてんだ。性格もそのつるぴかの頭みてえに明るくてさ。そんで……」

 天ノ川一族には今、5人の家族がいる。来月には6人だ。
 初代が作ったこどもは3人だったそうだが、暁と望の祖母が双子をつくって、もう少し賑やかになった。
 対照的に仲一族は、初代の娘が生んだ双子の血脈を律義に守り続けているということで、それほど一族の人数は多くない。交神の頻度にきまりがあって、桂と春日は、ごく近い月齢で生まれたのだそうだ。
 そのきまりごとによって苦労させられたことも多く、不仲の間柄も数多くあったらしいということだが、暁はいいな、と思った。それを語る桂の表情は、苦々しくも、なんだか楽しげだったのだ。