「ブライトにゃんには、こんなことをしている時間なんてにゃいのに…」
「そんなこと言って、夢小説書くだけでしょ。遺品くらい整理してあげないと」
「ばんぬだって本当はさっさと執筆に戻りたいにゃろ!?」
「それは」
そうだけど。
ばんぬは痛いところを突かれた顔で両肩を上げた。
マットがその横で笑顔を取り繕う。
「ふたりの気持ちもわかるよ。文句のひとつも言いたくなる、この量は」
三人は背後で堆く積まれた紙の山に揃って溜息をついた。たっぷり人の背丈ほどあるその山の八割方は同人誌で、残りの一割はネタ帳だ(そして最後の一割が鬼録だ)。
極楽鳥コート。託された使命の合間に創作活動という熱い鉄をひたすら打ち続けた女。
あと千年もすれば感服の念を抱かれたやもしれぬ、その途方もないエネルギーは、しかしこのいま瞬間、残された家族の限りある時間をだいぶ、かなり、圧迫している。
「こいつ」閃絃は猫パンチで、ピース姿をとるコートの遺影が入った幻灯立てを殴りつけた。「笑ってんじゃねえ!」
「こら、閃絃、口が悪いよ」
ばんぬは疲れた声で咎めた。姉としての形式めいた注意は、特に本来の効力を宿していない。
そこにふたたびマットの声が割って入った。
「ねえ、ふたりとも」
閃絃とばんぬはそちらを見やった。彼がふたりを手招きしている。
マットのあぐらの上には小ぶりの木箱が開かれており、蓋には黒くいかめしい札が貼ってある。何かおどろおどろしい筆致でたいあっぷと書いてあり、箱の中には文章が記された紙が丁寧にしまってあった。
「なんにゃ、これ」
「詩みたいだけど」
南十字座と題された詩だ。破滅だの超越だの怪しさ極まるワードチョイスや、通常では振られないようなカタカナ語のルビの数々は、確実に故・コートの独特なセンス所以に違いなかった。そしてやたらと韻を踏んでいる。続けて「作詞・極楽鳥コート、作曲・超絶響法師(予定)」と結ばれているのが気にかかる。
「誰?」
「聞いたことある?」
「そんな歌手いたっけ」
誰からともなく疑問を口にして、みな同じように首を横に振った。
「もしかしてコートさん、曲でも依頼しようとしてたのかな」
あの女は、どこまで負の遺産を残していったのだろう。マットの推測に、ばんぬも閃絃もつい胡乱げな目つきになった。
「アイデア止まりだったらいいのだけど、もし既に制作段階に入ってしまっていたら——」
ばんぬが推測をさらに面倒な方向に繋げかけたそのとき、
「失礼しまーす」
若い男性の挨拶が屋敷に響いた。「皆様、お客様がお目見えです」イツ花のはきはきとした呼び声も。
三人が戸口に向かうと、細面の若者が立っていた。質朴な小さい両目と浅い彫り、何だかぱっとしない薄眉。人のよさそうな風貌だが、悪く言うと地味で、次の日には忘れてしまいそうな顔つきだ。背にはなにか妙なシルエットの袋を抱えている。
「はじめまして。突然すみません。ぼくは長吉と申します」
男が丁重に辞儀をした。「あ、これはこれはご丁寧に」マットたちも倣う。
「こちらのコートさんがお亡くなりになられたとお伺いして、ご挨拶に伺ったんです。このたびは、お悔やみを申し上げます」
男は一度顔を起こすと、きわめて残念そうに眉尻を下げ、また深く頭を下げた。
「あの女って、そんなに好かれてたにゃんね」
閃絃が慇懃無礼に言い吐くので、マットは(家の中でならまだしも、客人の前で——)一言叱ろうと口を開いた。しかし「とんでもない!」長吉の哀惜のにじむ大声がそれより先に走ったため、思わず三人は彼を見すくめた。
長吉は巧まずして高声の飛び出た自らの唇を、照れながら右手で抑えつけてごまかし笑った。そして咳払いすると、
「コートさんは、本当にすごい方でしたよ。鬼の襲撃でそれどころではなくなってしまったこの京に娯楽を取り戻すんだっていつも仰って……彼女に元気をいただいた者もたくさんいるんです」
と口尻にえくぼを作った。
「ぼくはあまり詳しくないんですが、なんでしたっけ、町人絵草紙市でしたか。それを夏と冬に取り戻したいと意気込んでいらっしゃって」
「ああ…」
三人はむやみに天を仰ぎ、頭上の梁の中で眼鏡を意味深に光らせるコートの幻覚を視た。
「それから、幻灯芝居を現実にしたいんだとも仰られていて。今は技術のある者も方々に散ってしまって難しいのですが、できることから始めようということで、導入歌風の小唄をまずは試作品としてつくろうという話まで立ち上がっていたんです。『南十字座』という歌なのですが、彼女からお聞きしたことはなかったですか?」
「お前、まさか超絶響法師か?」
しかめつらで食い気味に閃絃が言い放った。話が大きすぎる。
長吉はぱっと笑みを顔面一杯に広げて、
「はい! 存じていたんですね! けれどそれ、超絶響法師って読むんです」
「メロディアス法師!?」
閃絃が叫喚する横でマットとばんぬはすっかり話に呑まれていた。ばんぬは鉄仮面に若干の焦りをひそませながら、とりあえず上がっていったらどうかと薦め、長吉は上機嫌で快諾した。
客間に案内された長吉は奇妙な形の荷物を下ろし、出された番茶を啜った。
彼はお茶請けを数口謙虚に頂きつつもことのあらましを語ってくれた。数か月前、行きあいの途中で偶然コートと意気投合し、流れで三味線を齧っていることを述べたところ、この企画に誘ってくれたのだという。超絶響法師という芸名も彼女が考えたのだとか(そうだろうなと三人は思った)。
「自分は歌の完成まで見届けられないだろうとは伺ってました。ぼくも覚悟はしていたのですが、本当に残念です」
肩を落とす長吉にマットは優しく礼を述べた。「きっとコートさんも喜んでるよ」
コートは変わった——ずいぶん…とにかく——変わった女だったが、こうして惜しまれるほど京に馴染んでいたのだという事実は家族としても喜ばしいものであった。
長吉は目尻の涙をぬぐいながらも続けた。
「『南十字座』は、あなたがたのための歌なんですよ」
「わたしたちの?」
ばんぬが訊いた。「けど、試作品は幻灯芝居のためのものだって」
「ぼくもよく存じないのですが、家族のための『いめそん』が欲しかったんだそうですよ」
『いめそん』ってなんでしょうか?
長吉の無垢な問いにばんぬが律儀に答える横で、閃絃はひそかに頭を抱えた。
「…じゃあ、あの詩は、コート氏がブライトたちのことを想って?」
「はい。今回はこの歌があらかた仕上がったので、皆さんにお披露目したく立ち寄らせていただいたんです!」
長吉は息まくと、持ってきた袋を手繰り寄せて開いた。中にはこれまた妙な形の部品がいくつかしまわれていたが、長吉が慣れた手付きで組み立てていくと、閃絃たちにとっても見覚えのあるものに様変わりしていった。
「ああ、やっぱりそれ、三味線だったにゃんね」
紫檀でできた棹には細かな傷が見え、使用感がある。胴皮はまろやかに伸びており、愛着をもって使われてきたことがうかがえるのだが、そこに悪目立ちする小さなしゃれこうべと羽根の黒い刺繍が入れられていることを加味してしまうと、ついその前向きな斟酌も取り消したくなった。
「ぼく、立派な芸者になるのが夢なんです。だけどあまりうまくいかなくて。もう夢を諦めようかなって思った矢先に、コートさんに出会ったんです。彼女は僕の、はじめてのお客さんなんです」
長吉は三味線を愛おしげに撫でるとひとつ顔を上げた。そして緊張した面持ちで、まず鼻歌を一節歌った。ウォーミングアップだろう。
「それでは、歌っても、かまわないでしょうか」
すっかり長吉はガチガチになっていた。固い声を受け止めたマットはばんぬと顔を見合わせ、静かに微笑んだ。
「うん、聞かせてほしいな。僕たちの『いめそん』」
「感性の良し悪しは置いといて、コートさんがわたしたちのことを思って遺してくれたものだもんね」
「…ま、自分たちのために歌を作ってもらえるなんて、これほど特別なこともないにゃんね」
閃絃もその幼い顔のつくりを朗らかに崩した。
長吉は怖い顔で肩をいからせていたが、それぞれの答えに解きほぐしたように破顔した。
そして三味線を構え、息を吸い込み、いたって澄んだ低音で、
「それでは、超絶響法師『南十字座』、聞いてください」
滅びの星が照らす空 南十字座に導かれ
運命の鎖断ち切れず 呪いの血が燃え上がる
破滅へ進む宿命 逃れられぬ夜明けを超えて
超越の力解き放て 南十字座よ、導け我らを
断罪の炎宿した この両手に刻まれた印
受け継がれる哀しき刻 我が一族よ、立ち上がれ
破滅へ進む宿命 逃れられぬ夜明けを超えて
超越の力解き放て 南十字座よ、導け我らを ※
※くりかえし
「もういいにゃん…」
「そんな! フルバージョンもあるんですよ!」
フルバージョンの歌詞を書籍「花民ぐ」に収録しています
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