一、
どこからか聴こえてくる歌をたよりに屋根まで上ると、そこで銀緑が鼻歌を口ずさんでいた。その姿はうら悲しさを帯びている。彼の背格好のすべてを、散り降る雪がこんこんと冷やす。いくら襟巻で首元をあたためていても、羽織に包まれた肩の上には、わずかな白雪がちらつき始めている。
「風邪引くよ」
言い置くと銀緑は緩慢に振り向いた。小さく微笑うと、
「そうだな」
言葉とは裏腹にふたたび夜空を見上げ、続きを歌い始めた。降りる気はないらしい。ボクは嘆息しながら傍に寄り、隣に腰を据えた。
澄み渡る満月は、闇空のすべてを食い尽くさんばかりに大きい。さながら巨大な雪粒だ。なにが新春だ、凍えるほど寒いのに。睦び月、ばかばかしい。
そういえばこいつは一月生まれだったか。
誕生日を迎えてなお物寂しさを取り消せない銀緑の歌姿。祝う気分なんかなれない、率直に言って。
青金の誕生日だって祝っていない。それどころじゃなかった。ボクたちは大江山で酷薄な現実に直面した。朱点童子を騙る大鬼を討ったその足ですぐに相手を検討して交神に向かった僕は、あれから青金とろくに口もきいていない。
だから銀緑にだって何も語らなかった。その気もなかった。
彼も大して気にするでもなく自分の世界に浸っている。僕たちはいつもこうだ。皆で同じ終点を見据えているようで、全員、個人戦だ。
だというのに、銀緑が弄んでいる旋律は、ボクの母がいつか扱っていたやつだった。
むかつく。
「やめろよ、それ」
苛立つと、銀緑はぱたりと歌を止めた。疑問を盛り付けた呆け顔が気に食わなくて、よけいに重ねた。「おまえがボクの母さんを好きでいることが、ボクたち親子の間に割って入ることへの言い訳になるのかよ」
銀緑はますますきょとんとした。ボクがカリカリしていることに怪訝な顔つきになったが、やがてひからびたような笑顔を浮かべて「赤銅って、実はマザコンだよな」と言った。
「うるさいな」
「箸菜さんのことを悼んで悲しむくらいは許してくれよ」
「それも腹が立つ」
おまえはなんのために戦ってきたんだよ。心配するのはいつだって母さんのことばかりだ——ボクにはそう見える。もともと助かる見込みなんて限りなく薄かった母さんのためだけに、おまえは戦ってきたのかよ。
朱点とやりあう気なんて、はなからなかったんじゃないのか。
それもまとめてぶつけると、銀緑は目を泳がせ、しきりに節くれだった指で肘を羽織の上から掻いた。
「そんなことないよ」
「嘘だ」
「嘘じゃない、ただ…」
右往左往した眼が、観念したようにボクの着物の合わせあたりで踏みとどまった。伏目がちな姿は、雄弁に後ろめたさを語っている。
「怖かったよ、少し」
「朱点と戦うことが?」
「ちがう。…呪いを解いて、箸菜さんのいない世界を生きていって、そのうち声も顔も思い出せなくなることが…だよ」
銀録はとつとつと言いづらそうにつっかえながら話し終えた。
憂げな相貌と、だけれど安堵をも霞めたようすで、ボクの顔色を窺った。
はあ?
つっけんどんに、有体を返した。
「そんなのみんな百も承知だ。母さんも。それでも生きるって誓ったのだってボクらだろ、それがみんなの願いなんだ。——それしきのことが、生き残りたいって気持ちを掻き消してしまうほどの心配になるのかよ?」
銀録は軽く両の瞼を持ち上げ瞬かせると、心底困って追い詰められた顔で笑った。
その唇から白く染まった息がふっと漏れて、夜闇に薄らいでいった。
…意味がわからない。
(以下、書籍「花民ぐ」にて収録)
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