フェルトのくるわ

 最近、管轄外の私物がやたらと増えている。ここは俺の部屋なのに。
 俺はモノを増やすのを避ける性分だ。荷物は両の腕で抱えきれるくらいがちょうどいいと思う。ミニマリストってほどじゃないが、習慣的に断捨離するし、自分の持ち物も置き場所もすべて把握している。
 だから、ワンサイズ小さい服なんて、はたしていつ買ったんだろうかと疑問に思うまでもない。それなのに、知らないメーカーのワックスがどこからか生えていたこともあった。いつのまにか覚えのないスキンケア用品が洗面所に置いてあるし、携帯電話の充電器が奇妙にも分裂していることだってある。
 俺の家が事故物件などでないのであれば、つまりこれは、三村が勝手に私物を増やしているのに違いないのだった。
 最初に気がついたのは、俺がこの部屋に越してからはじめて三村が泊まりに来た次の日で、その時はデザインの違う歯ブラシが俺のものの隣に放置してあったのだ。
 彼が置いて行ったのだろうとすぐに合点が行き、けれどそんなことでわざわざ連絡するのもなと思い、次に三村が泊まりにやってくるまで何日もえもいわれぬ感情のまま過ごしていたことを、あいつははたして知っているんだろうか。
 二度目の後日は替えの服を発見した。一言言えよとはっきりと思ったのがその時だ。思い立ってメールすると、数分足らずでダメだった?と返ってきた。そう聞かれると迷った。私物を置くことそのものはかまわないが、他人のスペースを借りるのだから許可くらい取れよ。そう告げると、間髪入れずにケチくさいなと淡白な返事が飛んできた。うるさいな。
 無断で私物を置き散らかしていく三村の悪癖はなおる気配がなかった。鉢合わせた時に文句を言ってやったこともあったが、暖簾に手押しでしかなかった。「忘れ物はないか」と念を押しても効果はなかった。いっそつきつけてやろうと思い、三村が居る間にあちこち探し回ってみたが、決まってなにかが見つかるのは彼が去った後だった。巧妙に隠しているのだ。なんなんだ、いったい。宝探しに同意したつもりはない。
 今この瞬間も、俺は新たに戸棚の奥から見知らぬマグカップを発見して嘆息していた。三村が好みそうな、ステンレス製のシックなやつだ。飄々とした白いピースサインが合金鋼に映るようだった。
 ごく小さいワンルームの居室は、もう俺の手にあまる代物じゃなかった。他人の目から見ても、きっとパートナーの存在を感じられるだろう。実際、以前に別の友人を泊めた時、だれかとルームシェアしてるのかと訊かれて、少し答えに詰まった。
 三村は俺のなんなんだろう。関係がはじまったきっかけもぼんやりしているし、互いの誕生日や、節目に必ず時間をとっているわけでもない。誰それと飲みに行ったという話もよく耳にするし、それが女であることも珍しくない。いちいち詮索しない。だけど会えばキスもその先もする。俺は三村とこうなってから、特定の誰かとむやみに親密になりすぎることを避けた。
 あいつがどうかは知らない。あまり話題にしないから、三村も同じようにしているんだと期待している。だけどそれは、俺の単なる願望かもしれなかった。
「恋人が。よく、泊まりにくるんだ」
 俺の固い声を受けた彼の瞳孔がすぼまった、思い出。へえ、と笑う友人の、一緒に固くなった顔。三村の私物は、当たり前に男性的だ。微妙な気まずさと驚きの後処理を彼に強いてまで、俺はあいつを恋人と定義したかったんだ。それを自覚して後々頭を抱えたのは、そんなに前のことじゃない。
 俺はマグカップをしまった。三村がてきとうに置いていった私物は一応みんな、整理してしまってある。だけど、そもそも俺だって、ちゃっかり箸をワンセット買い足したりもしていたのだった。
 ふと、シンクに放り出したままの携帯が光っていた。開いてみると三村からメールが届いている。先刻小言の流れで、なぜこんなことに巻き込まれなければならないのかと送った、それに対する返信だった。なかなか来なかったのでほったらかしていたのだが、
〈言わなきゃダメ?〉
 勿体つけたわりに、妙な言葉遣いだった。勿体つけたからこそなのか。
 俺はすぐに、
〈しまうのは俺なんだぞ。いくら面倒だからって〉
 そこまで打ち込んで、親指を止めた。ちょっと考えて、いや、まさかな。あまり期待するな。相手は三村信史だぞ。いびつに形を作りかける口元を、だれも見ていやしないのに手で覆い隠しながら、もう片方の手では電話をかけていた。
 何回かのコール音。諦めかけたときに、やっと三村の声が聞こえた。
『なに』
「言いづらいことなのか?」
『いや別に。単に、お前をちょっと困らせたくって——』
「言わなきゃダメ?って書いてあったろ」
 あいさつもなしに突っ込むと、電話の向こうの三村は気圧されたように黙った。そして、俺がマグカップを見つけた時とそっくり似た嘆息ののち、
『お前は許可くらい取れって言うけど、いざ却下なんてされたら俺、泣いちゃうからさ』
「…そんなことしないってことぐらい、わかるだろ」
『わかるけど…』
 乾いた軽口を叩いてから、ぼそぼそと自信なげに彼の声がしぼんでいくのに合わせて、俺の掌の下の唇はどうしようもなくにやけていった。よくない。瞼裏の暗闇に向かって意味もなく叱咤した。
 三村は敏感にそれを察知し、少し文句を垂れたあと、うやむやにあいかわらず喋り続けた。どうしても宝探しという体は貫きたいらしい。俺は口先だけで苦言を挟みつつ、内心ではもうまったく別のことを考えていた。俺がこいつの部屋に私物を置くならどのあたりにしまおうかとか、それならあそこにある寝巻を次は持参していこうかとか、それを見た三村はどんな顔をするんだろうか、とか。