「日曜の花火大会、行く予定ある?」
三村が訊いてきたので、杉村は簡潔に「特にないが、それが?」と答え、少し背筋を正した。当然、遊びの誘いだと思ったのだ。
だが、三村の返答はこうだった。
「よかったー。じゃあその日、お前んち行ってもいい?」
杉村の自宅から花火が観たいのだそうだ。
杉村はすぐに、脳裏に浮かんだ疑問を口にした。
「現地に行けばもっと近くで見られるのに?」
三村はわざと舌を数度打った。
「お前とふたりっきりの部屋で、わざわざ遠くから観るって風情がいいんだろ。説明させんなよ」
はあ。杉村は納得のいききらない相槌を返した。
三村はその悠長な返事をオーケーととらえたらしい。じゃあ日曜の夕方、お前んち行くから。三村は杉村が伸ばした背筋を無遠慮に叩いた。約束を粗暴に刻みつけると、吹きすさぶ風のように去っていった。
杉村は盛夏服に包まれた後ろ姿を見送りながら、そっと納得を飲み込んだ。今日の三村は人混みに揉まれたくない気分だったのだろう、きっと。日曜の三村は違うかもしれない。気分屋な友人から切り売りされる風変わりな機嫌の可能性を思考の範疇に据えつつ、杉村はシステム手帳を開いた。
やってきた三村は利き手にスーパーの袋を引っ掛けていた。お土産と称して掲げた袋の下から、スナック菓子のパッケージが透けている。ラフなタンクトップとハーフパンツから、涼しげな手足が伸びていた。
中に招き入れるなり、杉村の母が三村を歓迎した。三村は愛想のいい会釈を打って、杉村とともに二階へ上がった。
ふたりが早速スナック菓子をパーティ開けしていると、母が麦茶を差し入れてくれた。氷が三つずつ入っていて、麦茶の中で静かにひび割れている。
杉村はそれを口に含みながら、三村を静観した。三村はポテトチップスをつまみながら世間話に興じており、様子を斟酌するに、ひっそり立てていた予想は外れたらしかった。
「ここから花火、どれくらい見える?」
杉村は問うてくる三村の白い脛を何気なく眺めた。
「あいにく、それほど大きくは見えないぜ」
「いいよ、別に。こういうのは雰囲気が一番大事なんだ」
サイズに応じてその雰囲気とやらも半減するのではないか。杉村は片隅でそら思ったものの、口にはしなかった。
窓枠が切り取る空模様は徐々に黒みを増した。バスケットボールの皮革にも似た鮮やかな朱色は、少し目を離すうちにとっぷりと重い紺になって、星明かりがそこに軽やかな優しさを添えていた。雲ひとつない良夜だ。蒸し暑さも和らいで、昼間の汗を夜風がさらうようになった。
どん。ぼやけた小さい低音が聴こえた。始まった、と三村が呟いて、ベッドに身を乗り上げた。杉村は花火を見守る三村の背中を見守っていた。ここから見える花火はせいぜい五百円玉くらいのサイズだった。三村は最初の数発へこそ歓声をぶつけていたが、五、六発目に差し掛かる頃には、もう静かになっていた。
「行かなくてよかったのか?」
杉村は尋ねた。杉村の脳は、ワンコインサイズではなく、頭上に広がる鴻大な花火を夢想していた。ついでに土踏まずに伝わる太鼓のような大音と、ソースの香りと、逃れようのない雑踏を。
三村の体はそのどれもを纏っていなかった。窓の前で控えめに羽を伸ばす姿は、どちらかというと、絵画に見惚れて立ち止まる来館者に似ていた。
三村は質問を笑い飛ばして、「実はな」と振り向いた。声色にも口元にも蠱惑的なミステリアスが、微妙に兆している。
「俺にはこれくらいの距離がいちばん丁度よかったんだ」
杉村はその、兆しているところを無言で見つめた。強まった目つきに充足してか、三村は続けた。
「幼稚園の頃、うちの親父がさ」
杉村はかすかに瞼を見張り、速やかに取り消した。三村の瞳は絵画に再び向いていた。窓枠にかけた肘から指先のラインは、楽しさと悲しさの両方を兼ね備えていた。
「夏祭りに行ってくるって言ったんだ。俺が見てたら、『ついてくるか?』って訊いてきたんだよ。もちろん肯いたさ。だけど親父、すぐどっか行っちまった。ダチのところに顔出してたって、あとで教えられたよ。その時の俺、どうしたと思う?」
「どうしたんだ?」
三村の手足や髪を、白い清浄な光が照らしていた。次元の違う花火では、その光を揺り動かすには至っていないようだった。
「叔父さんちに駆け込んだよ。不憫だと思ったんだろうな、晩飯を振る舞ってくれた。メニューは焼きうどんだった、パックの焼きそば代わりのな」
かくして俺は焼きうどんが好物になったとさ、めでたしめでたし。
三村は結びに美しい譏笑を使った。それ自体は培った生存戦略だろうが、覗いている無垢性の虚しさまでは、きっと、計策外だろう。
「杉村は? 夏祭り、おばさんたちと行ったことある?」
杉村はその質問に面食らい、少々戸惑った。そしてぶっきらぼうに「まあ」と返した。
「どんなだった?」
どんなって言われても、普通だ。杉村は口にしかけて、一旦ひっこめた。そして整え直してから、
「射的や金魚すくいで遊んだり、焼きそばを食ったりした。花火を見たのは最後だな」
と述べた。
三村が「フツー」と破笑したので、杉村は心中で少しだけ毒づいた。
花火はまだ続いていた。三村の皮肉は金銭面への言及に変質していき、そのたびに杉村の目にも、花火の華麗はくすんでいった。今のところ三村は、ともにロマンティックを過ごしたくない人間、ナンバーワンだ。
「なあ杉村」
「なんだ」
「俺と花火だとどっちが綺麗?」
杉村は三村の相貌を見つめた。三村の唇は無駄の削ぎ落されたUの字に引き結ばれていたし、行なった穢しも本人の意図通り、無事に効いていた。
だが、杉村の視線の先にあるものは、なにも表層的な黄金比だけではない。
「花火に決まってる」
杉村は嘘をついた。これは完全なまでに。