七原は一個年上の先輩である新谷さんに夢中だ。ばっさり振られたっていうのにいまだにやまない敬愛にはいっそ頭が下がる。さぞ美人なのかと思い訊いてみれば(俺がカノジョを選ぶときには、顔かスタイルの出来は必須項目だ)なんでも特別に美しくもすらりとしているわけでもないらしい。じゃあどこがいいんだよ。伺うと、
「バカ、三村。顔とかじゃないんだよ。カッコいいんだ、あのひとは」
真剣な顔つきで言いきった。ふーん。とんでもなくつまらなそうな相槌を放ったけど、七原は気づかずに彼女を褒めちぎり続けた。
「振られたのにそんなに好きなのか。未練たらしくないか?」
「関係ない」
それから話は七原がどれだけ彼女を尊敬しているのかという段階に移行した。俺は内心舌を打った。ついでに彼は、
「三村の、そういう見た目でしか女の子を評価できないところ、どうかと思う」
とまで付け加えたので、舌打ちと一緒に、どこかに爪でも立てて思いきり引っ張ってやりたくなった。えらそうに言いやがって。お前が女に求めてることと俺が外見を重視することに、本質的な差なんてないだろ。
俺はますます面白くなくなってひとりあそびを始めることにした。どこまで退屈そうな生返事を打てば七原は冷めるのか。チキンレースだ。
「でさ、和美さんはギターも歌ももちろんだけど、やっぱりサックスが飛びぬけて上手かったんだよ」
「へえ」
「ピッチも正確だし、なにより表現力があったんだ。和美さんが吹き始めると部員みんなが黙るんだよ」
「ふーん」
「いまも高校でやってるのかな。やってるんだろうな。サックスって難しいんだ。吹いたことある?」
「ねえ」
「俺も貸してもらって吹いたことあるけど、音がそもそも鳴らないんだよ。いい機会だし教えてやるよ、リードってくわえ方にコツがあってさ。アンブシュアって言って」
「はあ」
聞いてねえよ。
サックスを吹く機会なんて俺には一生訪れねえよ。音楽にも興味ねえよ。
七原は得意げに実演してみせた。軽く口を開いて、歯列に下唇を被せ、その上から歯を当てて唇を引き結ぶしぐさを横目に、どんな皮肉をぶつけてやろうかばかり吟味する。
「……で、高音域を綺麗に出すのにまたテクニックが要って。息を吹き込みすぎても良くなくてさ……」
だめだ。夢中だ。
こいつは俺にサキソフォンの演奏技術を伝授するつもりなんて毛頭ない。ただ、新谷和美との輝かしい記憶に想いを馳せたいだけだ。
おまえとくっちゃべってるの、今目の前にいる俺なんですけど?
わからせてやりたくて、俺は身振りまで交える七原の片手首を摑まえた。驚く彼に口角を上げると、捕らえた指にまずライトキスを送った。薄い己の唇の形を覚えさせるように、顎をゆっくりと横にスライドさせてから、「合ってるか教えろよ」と伝えて人差し指をくわえた。
これみよがしに、いましがたの学習を真似する気もさらさらない動きで指の腹を食んだりねぶったりするたびに、俺の粘膜に触れた七原の顔が真っ赤に染まっていった。よしよし。
「どう?」
「どうって」
「ちゃんと指導してくれよ」
口内に指を迎え入れたままの格好で責めると、逃げ出したそうにそれが揺れる動きが唇や舌で感じられた。
「……えっと、下唇と上唇は、もっと巻き込んで、リードを包む感じで……」
「こう?」
「もうちょっと唇を両側に引っ張って、真ん中に力を入れて……」
「こんな感じ?」
「あのさ、止めようぜ、もう」
「お前が言い出したんだろ」
七原は眉尻を下げて謝った。「わ——悪かったよ」
「なんで謝るわけ?」その謝罪は、思い当たりがあるなによりの証拠だ。俺はほくそ笑みつつも七原の眉間をねめつけた。「貴重な講釈はもう終わりか? それとも、これじゃ教えにくかったかな?」
学生服の胸倉を掴んで七原の顔面を引き寄せると、俺よりちょっと厚い唇に噛みついた。中に鎮座していた舌を追いかけてさらに深く口づけ、こちらの舌で器用に手繰り寄せてから実践を再開すると、七原は流されたように一度目を閉じた。俺は薄目で、何センチもない睫を見つめていた。もう少し虐めてやりたくなって、舌先に咬合を刻みつける。すると目の前の両瞼がビビったように見開かれて、肩がぐんと後ろに押された。引き剥がされたのだとわかった。
耳まで赤くなった七原はしっかりと俺の両肩を握りつけたまま、俯きがちに再度詫び言を繰り返した。
「わ、悪かったって。三村もカッコいいと思ってるよ、めちゃくちゃ」
そこじゃねえし。