リセット

 この時期の街並みの変化ほどせわしいものはない。クリスマスにも年越しにも大した思い出のない俺にとっては、二十五日も三十一日も、目の前を過ぎていく日々のひとつでしかなかった。まわりの賑わいに合わせて、ほどほどに乗るけど。
 特に今年は疲弊していた。俺のクリスマスは毎年、女の子たちの予約合戦だ。勝ち抜いたコが俺と過ごす権利を得る。敗者からは涙をいただく。そう泣かれてもな。聖夜だろうと冷ややかに面倒がってしまう俺だから、ついぞサンタクロースに認めてもらえたことがないんだろう。
 各所へのフォローを終え、勝者の証のプレゼントまで選び、一日たっぷり彼女に明け渡して体を重ねた。そして帰宅する背中を見送ったあとの、ひとりぼっちの自室に差し込む朝日に照らされた時、唐突に思った。なんか全部めんどくさいかも。
 思い立ってすぐに俺は電話をかけた。日が高くなる前には年末年始の予約はすべてキャンセルされていた。スケジュール帳の予定欄に無秩序なバツを書き殴った時の、空しい開放感。やっちゃったかも。いやいや、たまにはいいじゃん。上書きされたペン跡に妙な焦燥感を覚えるのは、予定のない一日が特段苦手な証拠だ。俺ってこういうとこ、意外と律儀で真面目なんだよね。
 年末年始って、儀式だ。だれもが習慣のように食べてるそばだって、記憶違いじゃなければ験担ぎの一環だし、無宗教のくせに初詣にはきっちり参加することにどれほどの効力があるんだろう。自分が行列に混ざっている姿を衛星の視点から想像して、急に嫌気がさした。お参りにさしたる意味を感じたことなんてないのに、先行予約があるためになんだかんだ毎年神社に参っている自分の姿に気がついたのだ。
 スケジュール帳を乱雑に放り投げてベッドに横たわる。空しさの中、心は軽くステップを踏んでいた。そう、今年の年越しはなにもしない。誰かに誘われようとも。孤独の自由を謳歌する。己になにか課したりもしない。郁美だけを例外の枠に区切ってから、俺は堂々と寝台の上で大の字になった。
 日頃進んで作ることのないいとまを、数日間、享受した。中学生の冬休みなんて、ただでさえ遊びの予定ばっかりだ。いや人によるだろうけど、去年の俺はそうだった。華の二年目が予定なしなんて味気ないかな。まあ来年もあるさ。受験でそれどころじゃないであろうことは思考の端に追いやった。女の子といたくない気分の時だってある。男とだってある。豊としゃべるのは楽しいけど、奔放でいようとする自分に気がつく時もある。
 ぼちぼちぬるい孤独に飽き始めた三十一日の夜頃、形式的な正月料理を家族で囲み終わってまもなく、携帯が鳴った。
 仕方なしに開いた。キャンセルの宣告を打った女の子たちかと訝っていたが、ディスプレイに表示されていたのはどれとも関係のない友人の名前だった。
 七原秋也。
 俺は席を立った。今年流行ったアーティストの歌声が背後から、ダイニングリビングを出る俺をせっついた。
『三村、今暇?』
「まずは要件を言えよ」
 そのセリフはあんまり褒められた言い回しじゃないぜ。相手の選択肢を初手から奪っちまう。
『夜中に初詣に行こうと思って。消灯の前に抜け出すんだ。どうかな』
 七原の声は浮き足立っていた。電話口の向こうからかやめきが聞こえた。ひときわ大きい声は国信のものか。俺は眉根を寄せた。三村家と慈恵館の、明らかな隔たり。見せつけられているようで面白くなかった。
「国信がいるんなら別にいいだろ」
『なんだよ、乗り気じゃないな』
「とにかく、俺はパス」
 ほどよく酩酊したような陽気な七原のようすが気に障って、俺は率直に断った。七原はぶうたれたが、さして不快になることもなかったのか「急に誘って悪かったな。よいお年を」とそのまま電話を切った。
 俺は無機質なディスプレイを渋面で見つめた。悠々自適な計画に水を差された気分だ。
 リビングに戻ると郁美が紅白を観ていた。親父は一切テレビに目をやることもなく、年の瀬だというのになにかの書類に目を通している。母さんは食器を洗っていた。特に会話はなかった。
 沈黙のすきまを、この国お墨付きの歌手の、つまらない歌が埋めている。
 俺はダウンジャケットに袖を通した。
「お兄ちゃん、どこか行くの?」
 郁美に訊かれた。
「女の子と約束しててさ」
 そう答えると、それ以上郁美は追及しなかった。「いってらっしゃい」
 手を挙げて答え、当てどもなく家を出た。

 点々と並立する街灯の下を行きながら、己の衝動的な行動を若干後悔していた。携帯で確認すると、午後九時。まだ家を出て三十分も経っていない。
 こんなことなら応じておけばよかったと、七原の赤らんだ声を思い出していた。それに変な気を起こしてスケジュールを白紙になんてしなけりゃ、俺は今頃あの子の暖かい屋根の下にやっかいになっていたはずだ。
 かすかに白んだため息が、憂鬱となって立ち現れた。
 俺って大人気なはずなのにな。今この瞬間の、人生の折り方の不器用さといったら、ない。
 俺はしばらくとぼとぼと歩き続けた。一組のカップルと、手を繋いだ家族連れ以外とは、誰ともすれ違わなかった。
 公園に寄って時間を潰したりした。ベンチでぼうっとしながら、ゲーセンに行こうと天才的にひらめいたけど、財布を持ち忘れたことに気づいてよけいげんなりした。最悪に近い。
 冬の公園には虫もいなかった。虫さえ今頃年越しパーティってか、ちくしょう。
 これっぽっちも望まなかったいとまにゆるやかに揉まれながら、俺はセンチにも日々の行いを振り返っていた。
 笑いは重要なファクターだと信じて取り組んできたけど、第一本当は、狭苦しくてなにもいいことなんかないこのクソみたいな世界なんて、ちっとも笑えない。
 今笑えるものとしたら、頭上に無限に広がる、呆れ返るほど澄み渡った、二十三時半の夜空だけだ。
 俺は嘲った。
 もう帰ろう。いつものようにビンタでも喰らって、全てチャラになってしまったことにして。どうせ家族の誰も、特別気に留めたりしない。そしてすぐに寝よう。明日の昼まで懇々と。神社にだってもちろん、行かない。
 立ち上がり、家の方角へ向かって引きずるように足を運んだ時、俺の視界は白い街灯の影に佇む少年の姿を認めた。
「……七原?」
 何でこんなところに。
 呆気に取られて立ちすくむ俺に気づいた七原は、寒さに俯けていた顔を上げて駆け寄った。
「三村! よかった、会えて。俺、携帯持ってないから…」
「初詣は?」
 訊くと、七原はさわやかに笑った。
「お前と行こうと思って」
「…断ったよな?俺」
「一緒に行きたかったんだ」
 俺は眉をひそめた。冬の、無を極めたような空気が、俺たちの頬を時折つついた。
「途中で家に寄って、ためしにもう一度誘おうと思ったんだ。だけど家の人に、今は居ないって言われちゃって。もしかしたら帰ってくるかなと思って、少しここで待ってた」
 七原の言葉にうそがないことを、俺の何分の一かに冷え込んだ鼻元が証明している。
「…国信は?」
「はしゃぎすぎて寝ちまった」
 俺は国信のかわりかよ。
「そうじゃない、本当に三村と行きたかったんだ」
 何も言わなかったにもかかわらず七原はあわてて釈明した。俺の目線はそんなに雄弁だっただろうか。静まり返った住宅街の一角に、その弁解はよく響いて通った。
 七原は指示を待つ犬のように俺の次の言葉を当てこんでいた。
 なぜ今日に限ってこんなに強引なんだろうか。七原は偶にそうなった。半ば動物的にすべてを知っているんじゃないか、そんなふうに思わずにはいられないことがある。放っておいてくれたらいいのに。何も知らないくせに。自分の機嫌くらい自分で取れる。俺は器用なんだ。
 そろそろと七原の顔色を窺った。こいつも同じようにして、俺たちは滑稽なことにしばし見つめあった。
 根負けしたように七原が口を開いた。
「ごめん、無茶言って。俺、もう行くよ、」
「待てよ」
 俺はブルゾンに包まれた腕をとらえた。瞠目する瞼。
「行こうぜ。行かないなんて言ってないだろ」
「…………でも、パスって言った」
「言ったっけ?」
 無理やり貫くと、七原のしょげた顔立ちがみるみる元気を取り戻すのがわかった。まるで餌を与えられたみたいだ。

 結局来てしまった。
 十二時を目前にした古めかしい境内には人っこ一人いなかった。ざくざくと靴底の下で鳴っていた砂利の音も足を止めると同時に消え、俺たちの息遣いのほかにはすべてなくなってしまったようだった。
 俺はふたたびポケットから携帯を取り出した。七原も一緒に覗き込む。二十三時五十八分。五十九分。ゼロ。
「あけましておめでとう」
 七原が微笑んだ。「おめでとう」俺もしかたなく、笑みを含んで返した。
 俺達は賽銭箱の前に立った。七原は財布から十円玉を取り出して投げ入れた。財布を忘れたことを知った七原が、「使う?」俺に小銭を貸してくれた。
 俺は雑に十円を放り投げた。不覚にも、美しいシュート。
 影の中を駆け巡っている梁からはうっそりと鈴緒が垂れ下がり、音を鳴らしてくれる誰かを待ちわびている。
 七原が、その静寂を裂くように縄に振れ、両手で勢いよく振った。本坪鈴特有の、がらがらという音が鳴りどよんだ。
 二拍打ってから、七原は手を合わせて目を閉じた。俺は祈りもせず、ぼんやりとそのようすを眺めていた。しばらく彼はそうしていた。真剣だった。
 やがて、息をつきながらゆっくり瞼を持ち上げ、訊いてもいないのに、
「今年も楽しく過ごせますようにってお願いしておいた」
「…そういうのって、言ったら叶わないってよく言わない?」
「あ」
 しまった、という顔をする七原を見て、ようやく俺は小さく笑った。
「しかたねえな、七原クンは。俺が代わりに願っといてやる」
 特に願いも思いつかなかったから丁度いい。俺個人の小さな願望は、祈り飽きていたところだった。
 ならって二拍。瞼の中の宇宙に、今年も楽しく過ごせますように。そらぞらしいことをそらんじる。
「これで大丈夫だな」
「俺の願いがお前に割れてる時点で、言っちまったも同然だけどな」
「それもそうか…。絶対に叶えてもらうなら、もうちょっと賽銭入れといた方がいいのかな?」
「神様ってやつは金額を気にするほどいやしいのかよ」
 いい調子だ。やっぱりこうでいなくちゃいけない、俺は。七原の苦笑もかたちだけでのもので、およそ楽しそうに見えた。
 その苦笑を安堵に直しながら、七原が言った。
「よかった」
「何が?」
「お前を誘って」
 俺は少し面食らった。恥ずかしげもない言葉に。それと、無自覚で無遠慮なその洞察に。
 一瞬惑った。またセンチメンタリズムにまみれようか惑って、そうはなりたくない自分をやっと、つかまえた。
「それはシミュレーションか?新谷さん相手への」
「ち、違う!」
 にやつきで答えながらも、ひっそりいからせていた肩の力を抜いた。かなわないなと思った。今年も。もっといえばたぶん死ぬまで。
 七原はあわてふためき、怒気を滲ませながらも笑っている。その姿に、ようやく意義を取り戻しつつあった。疲労で忘れかけていたけど、そうだった。この世界って何乗かけても不毛だけど、だからこそ笑わなくちゃいけない。どこかのタイミングで俺はそれを誓って、行ずり続けていたのだった。そして取りこなしたい。できれば気持ちが潰える限り。
 七原はやはり、すごい。こっそりと思った。俺には誓わないかぎり、できないことだ。ひょっとしてその源は、ロックからもらっているプラスの力ってやつなんだろうか。俺もロックを聴きこめばあるいは、そんなばかげたことまで夢想しかけて、ひとり失笑を振り払った。
「お願いって一個しかしちゃだめなのかな」
「なにか別の願いが?」
「たとえば、来年は三村と同じクラスになれますようにって」
「いいじゃん」
 囃された七原は、冗談めかしつつ百円玉を賽銭箱へ投げ放った。口端をかすかにこの夜の酩酊に吊り上げたまま、ふたたび合掌のポーズで祈った。
 俺も祈った。いつものペシミズムじゃなく、もっと、こいつや世界のための。今年、その先でもいい、いつか誓いが形を織り成して、俺が笑い飛ばしたことがすべてほんとうになって、今横に並ぶこいつの悲哀のときに降り注げたら。おこなったのは、そんな感じの願いだ。